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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

弱者と強者、社会の多様性について…

 

昨日、多様性について考えていまして、本来多様性っていうのは種として生き延びるためにはとても大事なことじゃないかと思っていました。

 

それでこれは以前にも話題にしたことがあるんですが、覚えておられる方は少ないかもしれませんし、再び話題にしたいと思います。

 

Yahoo!知恵袋に寄せられた質問、「弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。」という質問に対するこの返答が素晴らしかった、と話題になったものです。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

この質問へのベストアンサーですね。

引用してもいいのかな。引用します。

 

 

ベストアンサーに選ばれた回答

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mexicot3さん    2011/6/118:19:42

 

え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

 

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

 

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

 

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

 

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません

 

ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

 

種レベルでは「適者生存」です

 

この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません

 

「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

 

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります

 

多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、

 

あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

 

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

 

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

 

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

 

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

 

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

 

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します

 

人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

 

生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

 

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ

 

あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

 

遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です

 

例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません

 

だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

 

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね

 

ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

 

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

 

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです

 

「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンス生存戦略だということです

 

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このmexicot3さんって人はすごいなあ。 人類は社会性が大切な生き物だってことをちゃんと見つめておられます。

 

社会性…。昨日私も書いていたように、一人でいる方が気楽だけど、人間はやはり一人では生きられない、っていうのもこのへんから来ています。

 

すべてが弱者だというのもその通りで、今の世の中、いつ失業したり病気や障害になってもおかしくないですから、「明日は我が身」だと思っておいた方がいいですよね。誰しも生身の存在ですから…。弱者の集団だから、より弱者になった時はお互いに助け合おう、というのも非常に大切。

 

生まれながらに弱者である人もありますが、人生の途中で弱者になってしまった人も多いから、そういう時には「or互いに」っていうのが大事なんじゃないかと思います。

 

 

「枠にはまらない人」「枠にはまらない子供」っていうもの大切なんだよね。

 

同じ遺伝子ですと、なにかの感染症が流行した時にばたばたと死に絶える可能性もありますが、遺伝子が一様でなくて、多様化しているとそれに負けないケースもあるかもしれませんし、そのことで、種として生き延びる可能性がうんと上昇することになりますね。

 

本当に上手くなってるなあ、と思います。

 

そういうことも含めて、この回答はすごいなあ、と思う次第です。

 

 

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