つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

脳の中の豊かな世界で幸福を感じること

 

世代を越える価値観の近さ

 

今日は体調が良ければ母のところに行っています。

 

昨日久し振りに母の友人のTさんから電話があって「お風呂のこと、あんたのお母さんが元気な時から気にしたはったもんなー。そやけど、水まわりのことはしっかりやっとかんとあかんで」と言われました。見積もりにもよりますが、それによって遠くない時期にタイルの補強もお願い出来ればいいなあ、と思っています。

 

「まあ、なんやなあ…。ご先祖さんがちゃんと取り計らってくれたはるのかなあ…」とTさんもそのへんは礼儀正しい人だと思います。大病を何度も経験して、ご主人も早くに亡くされて、そういう心境になったというか…わかりますけど…。でも私も心の中でしか感謝してなくて、宗教的なことはなにも出来てなくて申し訳ないんですが…。

 

父の遺骨もまだうちにある、と言ったら「まあ、あんたらの暮らしている場所やし、知らんとこに置いたげるよりもええやん」と…。まあ、そうかなあ。Tさんの考え方はわりと私と近い。80歳を越えてもそうなんだから、形式に捕われない価値観というのはいつの世代にも存在するんじゃないかと思います。

 

母と気が合うんだから当然かあ… (^_^;) 逆に若い世代の人でもなかなかうまく常識から外れることが出来ない人がいますけどね。


まあ、これもそのとおりですね (^_^;) 人気者かどうかわかりませんが。

 

 

 

 

私の中の豊かな世界

 

創作に関係のない人にはあまり面白くないかもしれませんが、創作する私には大変興味深く面白かったYukiさんの記事です。

 

susumu-akashi.com

 

私もそうだなあ。特に漫画などの長い創作をしている時は登場人物たちと同じ世界を浮遊していますね。だから、現実でぼーっとしていて、道を間違えそうになったり、人とぶつかりそうになったりします。

 

私の場合、そういう世界を(現実と重なっている)浮遊していると、突然に「これ!!」としか言いようがないシーンの画面やセリフが頭の中に飛び込んできます。それが描きたい物語のテーマだったりします。それがほとんど寝ようと思った時なので、起きてスケッチブックに描き留めて、場合によっては前後を捜す作業に突入します。幸せな不眠状態ですね (^_^;)

 

そのシーンやセリフを描きたいがために、何ヶ月も何年も費やすのですが、「どうしてそうなった?」と思っているうちに、頭の中ではキャラクター達が勝手に動いていてくれるわけです。それをメモの形で書き留めて、シナリオっぽく構成していくあたりはかなり左脳的な作業をしているな、と思います。

 

でも並行しつつ、彼らは勝手に動くので、時々予想外のセリフを言ったりして驚かせてくれます。「えー、あんたってそういう奴だったんだ!」ということもよくありました。でもそれがあとからしっくりはまるわけですね。納得の位置で。

 

漫画の場合だと次にコマを割ってラフな絵を入れていく「ネーム」と呼ばれる作業があるんですが、もしかしたら勢いで描き飛ばせるその作業が一番楽しかったかもしれません。

 

私の場合はあんまり波がない内容の時には平板なコマ割りになって、キャラの感情が高ぶったり、動きが激しくなると、変型ゴマが増えるという傾向がありました。意識してない、無意識がやってるんですが、ああいうのは右脳っぽい作業でもありますね。

 

ネームがちゃんと完結すると、瞬間だけ「もしかして私って天才?」というくらいの気分になります (^_^;) 

 

原稿を描く作業はかなり左脳的でもあります。画面を計算してるから。全体を見ながら細部も見る作業だからなあ…。

 

漫画描くのも楽しかったけど、いまはもう1作100ページ近い作品に何年もかける気力がないと思います…。・゚・(ノД`)

 

 

 

お絵描きもそうですね


イラストの場合もよく似た感じはありますが…。

 

完成形がいきなり頭の中に見えるケースはいい作品になりやすいですね。計算してないから。頭の中にある画像をどう描き写すか?ってことになるので、ラフの段階ではひたすら左手の作業。自分の頭の中だけにある画面を他の人にどうやったら見てもらえるか?が課題なので、効果的な構図とか色彩とか考える段階ではかなり左脳の作業も入ってると思います。

 

そしてそういうふうにして生まれた絵の方が出来がいいし、それを見てくれた人々からの評判もよかったりします。面白いことですね。自分でも気に入っているものが多いです。

 

計算して描いたようなものは面白くないのです。だから天から降りてきたイメージっていうのは本当にギフトのようにも感じます (^_^;) 

 

どうしてもこれを完成させないといけない、という責任のようなものも感じますけどね (^_^;)

 

 

 

ノイズの中の幻聴(?)


あと私はホワイトノイズ、たとえば食器を洗っている時の水の音とか、雨音とか、そういう生活音や自然音の中に時々「誰かが喋っている」のを感じますが、水を止めると聴こえなくなるので、あれは脳が勝手に言葉のように変換しているんだと思います。

 

この傾向は在宅介護をしていて、耳で家族の異変を察知するために気を遣っていた時から顕著になりました。実際にそれで何度も役に立ちましたし。

 

はっきりした「声」は具体的な「声」じゃなくて、多くはイメージを伴ったテレパシーみたいな言葉で降りてくることが多いです。キャラクターやイマジナリー・フレンドからの言葉は違いがわかりますが、誰からかわからない場合は「声」じゃなくてテレパシーですね。

 

私は悪夢をみたことがない人間なので、そういう「声」もイメージも悪夢のようだったことはありません。どうも悪夢的なものにはアンテナが向いていないような気がします。

 

 

ああ、でも物語が生まれようとする瞬間に立ちあうこと、苦労の末に原稿や作品が完成したこと、本を出そうと決めて地味な作業を連ねて、やっとその本が完成した時…。

 

それらの喜びを思い出すと私はまた何年でも生きていけるなあ、という不思議な力の源に出会っている気がします (^_^) たいへん幸せなことです。

 

 

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pixivで一番多くの「いいね」をもらっているオリジナル作品。私も気に入っています。

 

 

 

 

 

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