つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

死の覚悟を持って前向きに楽しむ人生(うつに負けないために)

 

背中が痛い…。ちょっと頑張り過ぎたかもしれない。でもちゃんと業者が決まって浴槽のリフォームが済むまでは全然落ち着かない感じ。市の仕事もそろそろはっきり区切りをつけて欲しい気もするし…。

 

そういえば、忘れてたけど明日は敬老の日なんですね。特養のエレベーターに敬老会のイベントのチラシが貼ってありました。

 

台風が近いせいか今日も頭痛はしています (ーー;)

 

 

少年隊とSMAPがいいらしい (^_^;)


で、昨日の母のエピソード、実はまだ続きがありました。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp


昨日の夕方、特養のケアマネさんからケアプランが郵送されてきて、中身を確認して、ハンコを押そうとしてふと「本人の意向」の欄を見たら、「少年隊とSMAPは好きやけど、嵐とキンキは好きやない」とあったので、大笑いしてしまいました(^_^;) 

 

しっかり主張してるね。そうか、年齢的にもアラフォーというかアラフィフというか、SMAPくらいの年代の方がいいんだな、と…。

 

大笑いしてから、ちょびっとだけ泣けた。きっと私も母も端から見ていたら「そういうこと言ってる場合なんでしょうか?」って言われてもおかしくない状態だと思うんですが、でも特養の人たちもどうかすると私がちょっと笑いを取りに行きたいタイプだとなんとなく理解されていると思います。

 

いや、母も私もジャニーズファンは事実ですが。

 

ちなみに私は歌はKinKi Kidsまでだなあ。嵐はあんまり知りません。その頃からテレビ見なくなったしね。母のリクエストにお応えすると、SMAPTOKIO、V6、KinKi Kidsまではあります。

 

DVDもありますが、個室でそれを再現するシステムが駄目なんですよね。モニタとDVDレコーダーがあればいいのかな??テレビがない生活をずっと続けていると、いまいちよくわからなくなります。

 

まあ、そのへんは余裕がないと無理ですが。まずはお風呂治さないと。(現在3~4社に見積もり依頼していまして、それによって出費も違ってきますし…。こういうのは私的だからクラウドファンディングも無理ですし (ーー;) 私的には10万越えたら立派な「大金」です (ーー;)

 

ともあれ、わかった。次はSMAP持ってくね(^_^;)

 

 

死ぬも生きるも天命にお任せしたい


どうせ人生は致死率100%なんだし、その時が来たら、死にたくなくても死なないといけないわけですし、出来れば好きなものや好きなことをたくさん見つけて、人に出会って、楽しい時間を過ごして「ああ、楽しかった」と死ねたら最高ですよね (^_^)

 

泣いても一生、笑っても一生なので。どう過ごすかは結局自分が決めるんだと思います。

 

どんなに手を尽くしても駄目なときは天命尽きるとき。寿命というやつです。

九死に一生を得るのはまだ天命が残されているとき。自死をはかっても助かる時は「生きろ」と天に言われているとき。あっけない事故で元気に出掛けた人が亡くなってしまったりとか…。

 

そういう運命的なものはどうしたってあると思います。


「なんぼ『助けて〜!』と言うても死ななあかんときはあかんしな」と母も言います。

 

だからいつ、そういう時が来てもうろたえないように心構えだけはどこかに置いておいて、あとは楽しいこと、ワクワクしながら過ごしたいですね (^_^) 

 

私は色彩効果でうつに落ちるのをセーブしているように、こういう考え方でもうつに落ちるのをセーブしています。あとはICの存在も助けになっているし。そういうときに助けてくれないICなんて存在意味がないやん。

 

母も胃ろうですし、褥瘡が悪化して片足切断しています。右手しか動かない寝たきりです。でも少年隊は楽しんでくれるんだな。嬉しいな。母が喜んでくれると私も嬉しい。

 

 

 

肯定されて肯定するようになるのかも


岡田尊司さんの「愛着障害」の中にこういう一説を見つけました。

 

「ひたむきな愛情をかけて育てられた子どもが、大人になって親を回想するとき、その言葉にあふれているのは大宰が乳母について語るときのような、深い感謝と肯定感である。それは親が誰よりも自分を肯定し、支持してくれたという、ありがたい思いである。」

 

私自身はよくそういうものを書いている自覚があるんですが、意外と私と同じように感じている人の文章には出会わないのが現実なのですね。

 

私は弱くてもどこまでも肯定されながら育った幸せな子どもなので、逆の立場になって、親が弱って介護が必要になっても、出来るだけのことをするのはしごく当然の流れでした。

 

なにかが出来るとか出来ないとか、そういうのはもう全然関係がないんですね。ただいてくれるだけで尊いし、愛情を注ぐに値する存在なのです。

 

だから他人から見てもわからない価値が重度の障害を持つ人たちや、病気と闘う人たちの中にもあるんですね。

 

転んだことがない人には痛みを抱えて起き上がることの大変さや並みじゃない努力が必要なことも全部わかるから。それを体験しなかった人よりは相当大きなものを学んでいるんですよ。実感としてわかる。

 

お互いのために命を大事にしないといけない、と思っている母娘。

うん、きっとこういうモデルも必要だと思います。

 

 

のろのろ進んでいるお絵描きはいまこのへん…。

 

 

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