お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

古きを尋ねていまの自分を知るということ

 

好奇心うずうず (^_^;)

 

昨日なんとなくTwitterで見かけたのをやってみました。軽い診断ですね。



cupe.site

 

あなたの個性は好奇心!

あなたは頑固で自発的な人。疑念も柔軟な態度で対応し、決して額面通りでは受け付けないタイプ。 系統的にそして、分析的に考えることができ、あなたの知性は平均をかなり超えています。几帳面で他人が見過ごしてしまうことも気づくことができ、効率のよいデータ整理もお手の物。何よりも、謙虚であり、寛大です。決して人を見下すこともありません。そんなあなたは好奇心旺盛の学習者です。

 

好奇心、といえば、こういう診断をやりたくなるのも好奇心なのかな?と思いました。

 

 


自分の脳と心が一番の興味の対象


実は私、自分にとって最大の好奇心が疼くのは「自分の脳」なんです。それと「自分の心」もそうね。どれだけ自分が好きやねん?と言われそうですが、そう、基本的に私は自分のこと好きですよ。

 

どうやら今はもうすっかり脳の回路がこういうポジティブ路線に切り替わってしまってるみたいだから、答がでない悩み方をしないような気がします。そのかわりに、「私の脳はどうしてこういう働き方をするんだろう?」とか「どうしてこんな反応の仕方をするんだろう?」とか、脳にも心にも本当に興味津々です (^_^;)

 

これって「自分の脳」や「心」もどこか客観的に見ているってことじゃないかと思います。距離が作れるんですね。どこか冷静に分析するのがすごく楽しい。脳科学者なんかだったら、自分で自分の脳を解剖してみたい(無理だけど)くらいです。

 

だって、自分はいままでの経験を全部知ってるじゃないですか。忘れてることもあるけど。それらの経験がどういうふうに影響を及ぼして、どういう風に変化してきたか、すごく興味あるなあ…。

 

もしも脳科学でわかることがあれば、他の悩んでいる患者さんたちの役に立つかもしれないし…。それがあるから、前からずっと脳バンクにも興味があるんですよね。

 

興味のあまりにこの本買ってしまいました。手もとにあればすぐには無理でもいつか読めるだろうし…。

 

 

脳科学は人格を変えられるか?

脳科学は人格を変えられるか?

 

 

 

この本、新刊のハードカバーなのに、Kindle本よりも安く、定価の半分近い価格になっている…。なぜ…?? ま、お買い得な気がしますよね。この値段は「読んでみて」と言われてるんだと解釈しました (^_^;)

 

 


昨日振り返ってみたこと

 


振り返ると、私の脳の回路がすっかり入れ替わるほどの「何か」があったとすれば、それはやはり10代後半の、具体的には身体的なダメージも大きかった、17〜19歳前後のことではないかと思われます。なにしろはっきり記憶がないくらいですから…。

 

それでいて、魂というか、意識が身体を離れて肉体の数メートル上空にあった、という感覚は覚えています。ああいうのを離人症っていうのかな?とも思ったり…。家族も気付かないうちに私の内部ではかなりの変化が起きていたみたいです。

 

それでも10代後半というと、まだまだ脳みそが柔らかく、可塑性に富んでいただろうな、とは推測されますし、その推測もあまり間違いではないような気がします。

 

まあ、明らかに挫折、ですよね。先の可能性が一旦閉ざされた状態になったということは…。それで脳の回路が生き残りをかけて変わっていったような気もします。自分の将来と価値観と病気の辛さともろもろ全部を賭けて悩みました。正直、その段階でよく生きてたなあ、とは思いますが。

 

だから私にとってはその変化もものすごく自然なことでしたが、大人になってからでもあり得るな、とは思います。

 

うん。こちらが駄目ならあちらはどうだろう?という具体的な別の可能性に活路を見いだすようになったのはそれ以来じゃないかなあ、と思います。

 

 

 

多分あの時、何かが死んだと思う

 


その後はわりと「ひとつが駄目になっても別の道があるわ」、という視点が確実に出来ていて、それから徐々にポジティブ思考になっていったと思われます。きっと10代後半のあの時に私の中のかなりの部分が一度死んだんじゃないかなあ。そこから再構築されていって今の私がいる気がします。

 

それ以降は思春期のほとんどを共に過ごした「自己嫌悪」という奴からも解き放たれましたしね。以後はほとんど自己嫌悪や自己否定の迷路には落ちていません。だからかなり双極性障害という病気のこともいくらかの距離を置いて見られるようになったんじゃないかと思います。いい意味でポジティブなところに助けられている気がします。

 

あんなふうな形で生命賭けで得るものもあるんですね。

 

とても順調に人生を歩んでいたら、いまのこの私はいないと思います。だからあの時の苦悩やら葛藤やらが無駄なく生かされていることで、やはり今の人生に後悔はないです。記憶をなくすほど悩んだ甲斐があったと思う。だから現在ポジティブ思考が出来るのは、あの時一旦死んだ精神の一部のおかげかもしれません。だから過去の自分にも感謝。

 

あの時、生きていて本当によかった、と思います。それでなければ、いまの幸福感も得られないままだったよね。ただ「生きてた」ことのご褒美みたいな気がしなくもありませんね (^_^;)

 

 

 

 

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