頭が痛いので、セデスを飲みました。ご飯はちゃんと作りましたし、部屋に掃除機もかけましたが、これ以上動くのは嫌なので、ヘルパーさんはお断りしました。月に一度くらい嫌になることがあります。掃除しなくても死なないし、別にいいや。
何事にもプラス面とマイナス面がある
あー、でも昨日Twitterなどでつぶやいたから改めて書きたいことがあんまりないなあ… (ーー;)
Twitterのつぶやき再録しておきますね (^_^;) めちゃ手抜きですみません。
昨日は訪問看護の日でした。
午前中に私のところへは作業療法士さんが、午後に弟のところに看護師さん(以前は私の担当でした)が来てくださいます。
訪問看護師Sさん(今は弟の担当)は常にものごとのプラスとマイナスを見ようとする人で、それには私もかなり助けられています。「長い介護の期間でも、そのあいだにデジタル絵の技術が身についたと思えば…プラスも大きいですね」この見方はとても大切。さすがに精神科の看護師さんだと思います。
どんな出来事にもプラスとマイナスの両面がある、と認識していれば必要以上に落ち込んだり舞い上がったりすることなく、比較的落ち着いて対応が可能なわけですね(^_^;) こういうやや距離感のある自分の味方ってすごく大事だと思います。
パニック障害が治ったのも、このコツを手に入れたからじゃないかと思っています。目の前に重要なことをひとつずつ着実にこなしていくことって実はすごく大切な過程だと思います。それも自分のことじゃなくて、いや、自分のことも大事ですが、身近な家族とかそういう人たちのために出来る範囲でなにかをやるっていうのも有意義ですよね。
無人島に流されて、そこで生きるすべを見つけたら、サバイバルしたというよりもそれなりの適応と技術が身についたってことじゃないかしら?これは病気にも通じるところがある気がします(^_^;)
最初は病気ともどうつきあっていいのかわからなくて、途方に暮れるとか、パニックするとかが普通ですが、このへんからTOKIOなんかを見習って、必要なものを見つけて、材料から作ったり収集したりしていくみたいな…。病気の対応も知識を得るとか、受診して身体と症状に合う薬を飲んで、生活リズムを作っていくとか、そういうのが「方法を見つける」感じかな?と思います。
看護師さんはまず「今週、なにかいいことありましたか?」と聞いてくださいます (^_^;) まずプラスに眼を向けるっていうのも大事かな、と思います。
自分の内なる治癒力みたいなものを信じたい
私は「治す力」は基本的に自分の中にある、と思っています。
それを最大限に引き出すためにお医者さんや看護師さんや薬剤やカウンセリングや書物や、そういうものの手助けを借りて、自分の中にある力を見つけていくんですね。こういうのも統御感というのかな?
で、改善したら、すごく輝く「何か」がプラスの宝石みたいになって、その人の人生の宝として残るという…。そういうイメージがあります。間近で見るとマイナスにしか思えないことでも、何年も何十年もあとから振り返ると、すごく価値のあるものに変化していると思うんですよね。
私は生まれつき、こういう病弱(?)なタイプなので、比較する「元気だった過去」が存在しないので、いつでも「ああ、まあこんなもんかなあ…」と思えるから幸せかもしれません。でもずーっと好きな絵を描いてこれたのは本当に幸せだったと思います。
昨日、SNSでこういうメッセージをくださった同じ病気のお知り合いの方がありました。
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恭子さんの前向きで確実な知識に基づく、温かなコメントに
どれほど救われてきたか分かりません。
双極だけでなく様々な困難な状況でも、他のせいにしたりせず、
卑屈にならずにいかに自分らしく生きていくか…。
その姿勢にいつも励まされます。
恭子さんはまさにサバイバーですよね。
共に手を取って支え合う事で少しでも生き抜くヒントが得られますように。
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そういうふうに見てくださってたんだ…と、思いました。
私はこれが普通のことなんですが…。やっぱり統御感はあるかなあ、と思います。
人生のあらゆる場合に、これって指針になるので、便利なものだと思います。
あー、でも仮にミサイルが飛んできても私は逃げるつもりはありませんけどね。そういう世の中で長く生き残りたくはないので、まあ、それは仕方がないかなあ、と…。
ただ、子供たちや若い世代の人たちには申し訳ないですけど…。私だけが作ってきた社会じゃないから、個人でどうこう出来るものじゃないのが悔しいけど…。
ま、そうならないことを祈りますが。