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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

精神年齢は意外と自由に変化するのかもしれない

 

一日一食まともなものが出来たら充分だよね


朝からご飯を作って、その後に郵便局と100円ショップで買い物をして、帰る頃にはなんだか頭がクラクラしていて、そういえば昨夜もこのクラクラはあって、それゆえに早めに寝たんだと思い出しました。

 

これもやっぱり凝りか自律神経かな?と思います。血圧などは正常値なので…。まあ、今年はお彼岸が近いのに、いつまでも寒いし…。調子悪い人も多いよね、やっぱり (ーー;)

 

で、帰宅すると作業療法士さんが来られたので、1時間くらい喋ってました。マスクされてると思うと花粉症だそうです。弟がキンカン湯を作って出してあげていた。変なところで気がつく奴です。

 

今日のお昼はちらし寿司。

 

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主体になるのは市販のちらし寿司のもと(すし太郎など)ですが、あれをそのまま使うのではなくて、必ず手を加えるのが我が家流ですね。

 

冷凍にしてあったちりめんじゃこを解凍するついでにお酢につけておいて、みじん切りのニンジンとさやいんげんを煮て味付けしておきます。

 

ご飯が炊けたらお酢を切って、じゃこを混ぜて煎りゴマを混ぜて、自家製の寿司酢(自分で適当に作る)をプラスして、先ほどのニンジンとインゲンを水分切って混ぜて、100円で売ってたしいたけの含め煮も混ぜて、ここでやっとちらし寿司のもとを入れて混ぜて…。若干お酢が効いた方が美味しいと言われるので、これだけやるとかなり美味しくなります (^_^;)(かんぴょうがあればそれも美味)

 

卵は自分で焼くこともあるけど、ネットスーパーで買っておいた錦糸卵と刻みのりを乗せて、ベニショウガを乗せて…。

 

冷凍のほうれん草のピーナッツ合えを添えて、かなり満足なご飯になりました (^_^) やれやれ…。明日はきっと多分またもやしです (ーー;)

 

作業療法士さんも30代半ばで既婚者ですが、料理はやはり苦手らしくて、毎回二人して悩んでいるような気がします… (*-д-)-з

 

 

 

自分を好きになる、ってことは素敵なことかもしれない

 


Twitterで見つけたつぶやきですが、なるほどなあ、と思いました。

 

 

 

私も10代の頃はかなり自己嫌悪に陥ってばかりで、あんまり自分が好きじゃないかな?というか、いまいち自分に自信が持てないこともままありました。

 

小中高あたりの自分が属する世界ってとても狭かったですしね。子供のころって本当に学校の中だけでしたし…。「親友」に求めるレベルが非常に高い私は、それを学校の中で求めるのは到底無理だと早くに悟っていて、だからそういう時は求める世界を広くすればいい、と思っていましたが…。

 

「実は世界は広くて、その分可能性もあるんだよ」ということをなんとなく教えてくれたのはやっぱり本じゃないかと思っています。その分「親友」に求める基準も高くなりましたが… (^_^;)

 

で、当時は文通が主な手段だったけど、今だったらネットがあるからもっと便利ですよね。

 

20歳で出逢った親友がこういう私のことを好きになってくれたから、ああ、私ももっと自信を持っていいんだ。私のことを好きでいてもいいんだ、ということで…。以降は自己嫌悪などはどこへやら、ありのままの自分で生きるのになんの躊躇も必要がなくなりました (^_^;)

 

家族にも恵まれていますが、そういう友人にも、恵まれているのだと思います。

 

自分のことが好きだと自分に信頼がおけますよね。自分を信じることで出来ることは少なくないと思うし、他人を信じることも難しくなくなる気がします。

 

ちょっと距離を置くことが出来る他者的視点があれば、そんなに鼻持ちならないナルシストにはならないんじゃないかなあ…。だから自分を好きになることで気がつくことはメリットの方が圧倒的に多いような気がします (^_^;)

 

 

 

自分の年齢、どう感じていますか?

 

 

お昼ご飯を食べながら眺めていたフリーペーパーにこういう記事がありました。

 

自分の年齢、どう感じていますか?|リビング京都

 

まあ、いろいろな感覚があって興味深いと思いましたが、これもいざ自分のこととなるとまたわからないなあ、と思いました。

 

身体的にはもう痛いところはあちこちあるし、不具合もあちこちあるし、決して「若い」とは思えないのが正直なところです。

 

でも精神的にはどうだろう?と思うと、これがまったくわからない。それこそ老若男女何人ものパターンが自分の中にあるよなあ、と思いました。

 

それこそイマジナリー・フレンドの存在のままに、幼稚園児くらいの子供から、若い男女、80とか90くらいの老人とかもいるよなあ…と。

 

それらの存在が時と場合において適当に外界と対応してくれるので、事故に遇ってもとてつもなく冷静きわまりなかったり、童謡で予測もなしに泣けたりするわけで… (^_^;) そういう意外性も自分ではすごく面白いなあ、と感じています (^_^)

 

肉体的老化は自然の摂理で仕方がないとしても、精神的な年齢は本当にいくつにでもなれるのが私にとっての「自然」かもしれません。ついでに性別も全然関係がないので、それも自分では気にいっています (^_^;)

 

「自分を表現する色」が「無色透明」なのと同じく、精神で感じる年齢も自在に変化するっていうのが自分らしくて面白いと思いますね〜 (^_^;)

 

 


一応、地味にまじめにお絵描きもしています。いまこのへん…。

 

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