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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「食べること」と心の距離感について思ったこと

 

食事というのは実はかなりデリケートなものかもしれません


13日の予定が結構ハードなので、予約投稿しておきます。弟が夜に眠れなかったら受診出来ない、と言うので、どういう状況になっているかわかりませんが、どのみち「私が行かない」という選択肢はないので、一人の方が身軽に動ける、と思っていることにします。

 

弟の場合だと、タクシーは家の前から家の前まで、になっちゃうけど、私は荷物も持って隣の町内からでも歩いたりします。わずかな節約と運動を兼ねて。…そういうことが二人だと出来ないんで…。「体中の関節が痛い」とか言ってますが、動かなさ過ぎのせいもあるんじゃないかと思ったり… (ーー;) このごろ私が煙草までついでに買ってたもんね。

 

冷やご飯は温めても食べないとか(チャーハンとかにすれば別ですが)生野菜は食べないとか、結構やりづらいですね。

 

このあいだ作業療法士のMさんと話していたら、やはりそういう神経質さかなにかで、「市販のお弁当やお総菜、それか家族が作ったご飯以外はどうしても食べられない人はいらっしゃいますね」と…。完全な外食だと別らしいです。

 

そういう人だとヘルパーさんにお願いして作ってもらった食事も食べれないようです。…まあ、これも微妙かなあ…。どうしたって作る人の「家庭の味」になってしまうので、それが受け入れられないとか、もうちょっとはっきりした理由がない部分で駄目な人もありそうですね。不思議な心理ですよね。

 

弟の場合も私の味が母の味になってしまってるし、調理の部分をヘルパーさんにお願いするのは多分駄目です。

 

 

中途半端な距離感が一番難しいのかも…


そういえば私も向い3件とお隣のおばちゃんたちとはもう50年くらい親しくおつきあいしているわけですが、昔からお互いの家のおかずを「たくさん出来たから食べてー」とやりとりしていました。

 

母なんかは誰の好物がなに、というのまで熟知していて「お向かいのおっちゃんが『ママ(この辺でママといえばうちの母の呼び名)のコロッケが美味いなあ』て言うてくれはったし…」とおすそ分けするわけですね。そういう親しさなんですが、実は私も子供の頃、ご近所さんからもらったおすそ分けが食べられなかったりしました。

 

あれはなんでしょうね?信頼してないわけではないんですが、どこかに神経質さが残っていて(子供のころはもっと神経質でしたけど)食べられるようになったのは大人になってかなり経ってからでした。

 

「他人の作ったものを食べる」というのは、それが中途半端に親しい人の場合、やはりどこまでその人を受け入れているかどうかというのも関係あるかもしれませんね。

 

 


他人が握ったおにぎりが食べられますか?

 

よく「他人の握ったおにぎりが食べられない」人がいますけど、これもわりと潔癖症的な心理はわかります。私にも若干そういうところがありますし…。でもラップに包んで握ったものでないと抵抗があるなあ、というのは自分で握るのも母が握るのもそうでした。だって握ってすぐに食べない場合はその方が安心できるし…。

 

他人のおにぎりでもラップ使用なら食べられるな、私は。なかにはそれでも駄目という方がありますしね。

 

これももしかしたら「他人をどこまで受け入れるか?」という無意識的な心のバリアみたいなものが存在するのかも…。コンビニおにぎりとかの方が安心なのは、機械だから清潔なのと、受け入れるのどうのということを考えなくていいからかも…。

 

お店のメニューは…一応プロだけど、せっかくのものだからなるべく残さないで食べようと思うけど…。という気遣いをするくらいには作り手を意識してるかな?

 

そういうことが考え及びもしなくて、なおかつ弱かった幼児期は私は本当に食べない子供で母が困っていたようです。「環境が変われば食べるかと思うて、おうどん屋さんに連れて行ったら、それでもあんたはおうどん2、3本(!)しか食べへんから、替わりに私が残りを食べてたら太ってしもうた」と言ってました。戦中派だから残せない世代です (^_^;)

 

でも母はそういうバリアがあんまりない人で、社交的でしたので、友達と食事に行くのを楽しみにしていました。晩年、血糖値が上がらないようにいろいろ工夫していましたが、あれは遺伝的に糖尿病になりやすい体質があると思います。ひいおじいちゃんが40くらいで亡くなってますし…。

 

まあ、でも基本的に他人を受け入れやすい人なのは確かです。だれにいただいたお総菜も残さず食べていたのは戦中派だからだけじゃないと思うな。それだけ人を受け入れることが出来る人なのだと思います。

 

そういう長所、私も見習って徐々に変わってきてるかな?とも思います。親というのはいくつになってもありがたい存在ですね〜 (^_^;)

 

 


「忘れること」の恩恵もあるのよね

 


私自身、長く生きていると、忘れてもいいことはどんどん忘れることが出来るようになってきている気もします。いろんな経験をしましたが、あとから振り返ると「どうしてあの経験をしたのか?」という意味がわかるようになって、自分の中で納得したら、もう覚えてなくてもいいんだ、という感じになって忘れてしまう…。

 

そうすると残っているのは嬉しいこととか、感動したこととか、楽しかったこととか、そういうものがメインになるので、幸福感の方が勝っていくわけですね。これも面白いな。こういう心の変化をするんだな。

 

認知症になると困りますが、でも心の中でより分けていく思いみたいな感じで、ザルの目が大きくなっていくような気もします (^_^;) 若い頃の悩んでいた自分に教えたいくらい。

 

いまでももちろんひとつひとつは相当真面目に悩んでいますが(時には死にたいくらいに)、それもやっぱり意味がわかって納得したら、手放してもいい記憶になるかもしれないと思います。

 

 

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