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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

障害者たちの見えない努力について

 

知らない人もいるだろうから書いておきます。

障害者は楽をしているように思われがちですが、決してそうではありません。

 

たとえば双極性2型障害のある場合、「障害」と言われるだけあって、

寛解はあっても完治はない、症状がましになっても薬を生涯飲み続けなければ

いつ再発してもおかしくないわけです。

 

うつ病の人でも完治はありえますが、無理をしたらぶり返さない保障はありません。

 

私の場合、クリニックの受診や母の特養に行く日は外出時間の3時間以上前に

起きます。調子の悪い中起きてぼーっとしながら動けるようになるまで

時間が過ぎるのを待たなければなりません。

ものすごい非効率だと思いますが、それが現実なんですね。

 

目覚ましで飛び起きて、パンを食べながら飛び出す芸当なんてとても無理です。

 

ましてや毎日通勤されている方の努力はそれ以上のものです。

体調を整えるといっても、お天気や温度変化や気圧でもたやすく影響を

受けてしまうので、そういうことも考慮しながら準備するというのは

本当に並ならぬ努力が必要です。

 

日常から決して無理は出来ません。帰宅途中で一杯やろうか、とか

カラオケ行こうか、とか、そういうささやかな息抜きでも

生活のリズムを崩してしまうから出来ないのです。

早く眠って明日の朝に備えないといけませんし…。

 

そうやって自律神経のリズムを整えても、わずかなことでそれが乱されます。

それは本人の注意や心がけではどうにも出来ない原因によります。

 

目に見えないところで、そういう努力が必要とされるのが障害者です。

精神障害者のみならず、身体障害を持つ人でも、その「見えない努力」は

半端ではないと思います。

 

そういう悪条件で頑張っている人たちがたまに「普通の人が普通にできること」

ができて、非常に幸福感を味わったり、また普通に人が何気なくできることが

できなくて、不甲斐なさと悔しさに泣いていることもあることを

知って欲しいと思います。

 

 

同情は不要です。ただシンプルにそういうことなんだという理解が欲しいです。

ハンデはあっても、叶うことならばみんなと同じにやりたいこと、

自分の存在にプライドを持っていること、そして事実、環境が整えば

ハンデを超えて働けること、社会に貢献ができること、

みんなと同じに誰かの役に立ちたいということ、どこまでも人として

対等の立場で生きていきたいこと。

 

困った時はお互い様で無理のない範囲で助け合えることが願いなんです。

 

それだけはどこかで知っておいていただきたいと思います。

 

また、こういう状態にも本当に個人差はあるので、動きたくても動けない人たちも

少なからずおられることも忘れないでください。

 

自分ができる範囲でも誰かのためにできることがある、というほど

幸福に思えることはありませんから…。

 

(…と、アドラー先生も言われてますね)

 

 

 

「障害」という文字の漢字表記なんかどうでもいいから、

正しい理解は切実に欲しいです。

 

 

休むつもりで一杯書いてしまった。おやすみなさい。

 

 

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