だから過去の経験をマイナスだとは思いたくない
昨日、TwitterとFacebookでつぶやいたことなんですが…。それぞれにコメントとリプレイをくださった方々、どうもありがとうございました (^_^)
やっぱりどう考えても過去の自分も現在の自分も、「いま、ここにいる自分の思考」には少なからぬ影響を与えているという事実は揺るぎないな、と思いました。確認したというのかな。
冷静に考えてみたら、人それぞれに生まれた家の家族とか、両親の思想とか信仰とか、育児や教育についての考え方も子供の頃から自然とその人の人格形成に影響を与えてきていますよね。生まれ育った環境や本当にもろもろのことについて。
プラスの出来事ばかりではありません。哀しいことに虐待を受けたとかいじめられたとか、そういうマイナスの経験もその人に影響を与えていますし。でなければ大人になってからもかくも苦しむ人が多いわけがありませんね。
さらに生まれつきの障害や病気、成長途上の怪我や病気、成人後の病気も、いまに至るまでに影響を与えていないはずがないんですよね。
私なんかは子供の頃から病気ばかりしていたから、それはかなり自分の要素というか、現在の私を形作るものとして重要な部品になっていると思います。
今の病気もそうですね。まあ、一応寛解はあれども完治はない(現段階では)ということで「病気だけども〈障害〉」と言わざるを得ないものになっていますが…。
まあ、でもこれがあるから今の私が存在するんだと思います。病気を否定すると本当に私の人生が全否定になってしまいますし…。そういう経験が無駄だとは不思議なほど思っていないのですね。
病気を経て得られたものは大きいです
この現在の私が自分の経験に感謝していること…。それは弱者への視点です。
社会的、肉体的、その他もろもろの弱者に対する視点が存在することを嬉しく思っています。
障害者や子供たちや高齢者やホームレスの人たちや貧困にあえぐ人たち(自分も一部のような気がするけど)の視点と同じ高さの視点でものごとを見れること。これが非常に嬉しいと思っています。
もっとも自分も障害者であり、病人でもありますが、でもそういう人たちのために出来ることがあると本当に嬉しいと思います。力がないから、それはただ一緒に泣くことしか出来ないかもしれませんが…。でも少なくとも同じ目線に立てると思っています。
同じ目線に立てれば、解決すべきことややることも見えてくると思います。母のためにうろうろしたようにね (^_^;)
結局私にはそれしか出来ないのかもしれませんが、この視点の位置は、いままでの人生でなんの苦労もなくスムーズに恵まれて生きてきていたら持ちようがなかった視点かもしれません。
自分が弱者だから、弱者のことがわかる、ってすごいことだと思うんですよ (^_^)
順調にいままで健康に生きてきた人は気付かないかもしれません。でも気付いたら改善のために具体的にどうすればいいのか、わかってくるんですよね。制度のこともそうですが、政治のこともそうかもね。
私も弱っちい人間ですが、自分よりも弱い立場にいる人のためなら動ける気がします。いままでそうやってどこからか湧いてくる底力のおかげで介護が出来ましたから… (^_^;)
余生があればやりたいことは決まったね。
あと、この精神疾患への足りない理解も深める必要がありますね。これと創作と。生きているあいだにやりたい課題だなあ。
地球の未来に願うこと
私が生きているあいだにはとても実現は無理だろうけど、そうなれば幸せだなあ、と思うことがあります。
それは「世界中のすべての子供たちが、衣食住の不安がなく、愛されて満ち足りて眠ることが出来て、さらには学びたいことが学べて、拡がる未来の夢を存分に描くことが出来ること」…なんですね。
いつか世界の、地球の未来に願うこと…。
着色中の線画で遊んでみた
全部おまかせ。眼を忘れられているけど、袍は黒だと認識されてるらしい (^_^;)
大雑把に色指定。
笑える出来栄え (^_^;)
いまのところはここまでです (^_^;)