つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

生きている限り、人は悩める存在だと思う

 

「なくしたものとつながる生き方」

 

昨夜、読みました。

 

Glocal Lifeさんがお勧めされていた本です。

 

  

 

なくしたものとつながる生き方

なくしたものとつながる生き方

 

 

家族を次々に亡くして、30歳で天涯孤独になってしまった女性、尾角光美さんですが、いまはグリーフケアを仕事というか使命のようにされている方ですね。


読み終えた瞬間、私は「ああ、頑張って本を作らないといけない」と思ってしまいました(^_^;) うん、いままとめている父の介護の本です。

 

3.11を挟んで、両親の介護に携わったこの11年間は(いまだ現在進行形ですが)過去に頭で理解したことを身をもって心と魂に落とし込み、刻み込んで来た歳月のような気がします。

 

当然、介護の延長にあるターミナルケア(これも現在進行形だ)とグリーフケアも流れとして当然に経験してきました。ものすごく貴重な経験だったし、そのきっかけで得られたご縁が現在のつながりのメインになっていると思うと、本当に「終わりが始まり」だったなあ、と思います。

 

喪失の大きさの代わりに魂が学んだことはとても重要なことで、それゆえに死者の魂も身近に感じることができるし、他の人に対してもできることがあるんじゃないかと思っています。

 

 

そして私の身近に体験した家族の死、祖父母と父と、そういう死別から立ち直る、というか、実は故人を思い出すことが「最高の供養」だと思っているから、忘れたりしなくていいんだと思っています。

 

時には心の中の父と対話することがすごく必要なことがありますし…。そうするとそこに甦るのは単なる哀しみじゃないんですよね。むしろ「そばに来ていてくれる」という嬉しさとなんともいえない安堵感です。

 

これは祖母の時にもあったし、パニック発作に悩んでいた時は祖母の形見の指輪を身につけて、見守ってもらっていましたし…。

 

 


母の親友のTさんのご主人が亡くなられた時、母は毎日のように食事を作って運び、なんとはない話をしながら、Tさんがちゃんと食べ終わってしまうまで見守ってから帰ってきました。一月くらい続いたかな。もう20年も前の話ですが、Tさんはいまでも感謝してくださっています。あれは母なりの友情のグリーフケアだったんだと思います。

 

そういうことをみんないつのまにかやってきているのですね。手探りでもそばにいる大事な人の心はわかるから…。どうしてあげたらいいのか、懸命に考えて、できることをすること。…そういうのが人と人との自然なグリーフケアですね。

 

 

 

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悩める人に寄り添う仕事ではないのか?

 

 

今朝、朝日新聞の記事でこういうのを見つけました。

 

digital.asahi.com

 

仏教が死者の供養だけに関わっていればいい時代はもうとっくに終わったんですよ。生きている人たちの苦悩を救うような仕事でないとなんの意味がある?3.11を経験して、あまりにもはっきりとそれがわかってしまった。

 

もっとも私はそれ以前に旦那寺を見限りましたけども。

 

今生で悩める人たちのカウンセリングも出来なくて、あんまり存在の意義がないよね、と。実際に3.11のあとにそういう活動をされていた僧侶の人ってまだまだ全然限られていたと思います。

 

これだけ生きるのが大変な時代、私クラスの人間が「あなたの方がよく学んでいる」なんて言われるようじゃ駄目だと思います。

 

このごろ、尾角さんの講演を聞かれる僧侶の方もおられるそうです。いいことですね。

 

はい、ぜひともその次は現場へも足を運んで欲しいと願っています。難しい話でなくてもいいから、魂の届く話ができるようになっていただきたいと、思わず願ってしまう私でした(^_^;)

 

 

 

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