お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

健康じゃなくても出来ること、社会的弱者として出来ることを考える

 

元旦から、嫌いな食事作りをしたので、ついでに(?)ちょっと真面目なことを考えてみました。

 


私が元気だったころっていつ??

 

ふと振り返ると私は「元気だった頃の自分」をもはや思い出せなくなっています。
私が元気だったのっていつまでだろう?

 

少なくとも中学生時代はしばしば片頭痛と腹痛に襲われていたし、生理前には毎回厭世観に苛まれていたので、すでにその頃に片鱗はあったのだろうと思う。それでも中学時代はほぼ皆勤賞の年があったと思う。

 

高校時代はやっぱり片頭痛も残ってたし、厭世観もあったし、修学旅行先の仙台で一気に慢性盲腸が悪化するまでは、いろんなことが表面化してなかったってことかしら…。外科の先生に「これだったら、いままでに100回くら痛んでたはずや。あんたら、この子殺す気か?」と怒られた、と両親は言ってましたし、私って案外痛みに強いのか??

 

でもその慢性盲腸の手術後にいろんなことが表面化して、術後の貧血→初めてのパニック発作→慢性膵炎へ、とどーっと体調悪化。そのへんから記憶がほぼないほど、いろんなことが辛かったのだと思います。そのまま20代の前半は療養しながら洋裁習ってたから、洋裁のバイトくらいしか収入もなかったのですよね。

 

で、医療事務の通信講座で勉強して資格取って、やっと小児科医院に就職したのは(でもパートです)24、5歳でした。そこでも体力なくて、毎月患者さんから風邪のウィルスをもらって風邪ばかり引いてたし、インフルエンザとおぼしき状態からひと月以上咳が続いて、後にそれが肋膜炎になって治ったあとがあると判明。患者さんからは風疹までもらいました (^_^;) 隔離部屋で「腰が痛え…」とうなりつつ、レセプト書いてました。(当時は全部手書き)

 

その後、デザイン会社に勤めて、土木設計の事務所に勤めて、掛け軸を作る会社にも勤めましたが、なかなか週に5日の勤務が続かない。よく続いて2、3週間。ひと月が無理だったから、正社員とかは最初から無理だと思ってたし…。

 

それでもその頃は弟も結婚して甥と姪も生まれてたし、時々は両親や母と旅行にも行けたんですよね。でも相変わらず、毎月、死にたい気持ちには襲われていたし、パニック発作も波はあったけど、ずっと治ってなかったし…。ただ、婦人病関係の漢方薬ドグマチールくらいでなんとかやってました。

 

 

ずっとどこかが悪かったみたいだね (^_^;)

 

…考えたら、どこも問題がなくて元気、っていう時はほとんどなかったかもしれません。戻れるならば10歳前後に戻りたいとは思うけど…。多分、その10歳前後が自家中毒が治って、片頭痛その他の症状に悩まされなくてもよかった貴重な時だった気がします。

 

「元気な時」ってそのくらいしか思い出せません。まあ、私は生まれつき、あんまりタフじゃない人間なんだと思います。でもそれがコンプレックスにならなかったのは、やっぱり自己肯定感だけは両親がしっかりと与えておいてくれたからかなあ…。

 

双極性障害の「芽」のようなものはずーっと子供の頃からあった気がします。HSPだというのも手伝って。大人になってからは「元気」と自信を持って言える時期って多分なかったです (^_^;)…いやー…。


でもきっとそれが私だから。病弱な方向から世界を眺める体験もそうそう誰もが出来るわけではありません。この視点にたって見るから社会がおかしい、とか人情がおかしい、とか、そもそも人の心がおかしいとかいうところにいち早く気がつくのです。きっとそのためのHSP

 

警鐘を鳴らす意義があるのだと思っています。炭坑のカナリアの危機感を。

 

 

「継承する」ことの意義

 

私は幼児期から祖父母や両親から、実に多くの話を聞いてきました。

 

いつも言ってますが、老人は「生きた歴史の証言者」であり、子供たちは「未来への希望」です。そして私たちは先人が苦労して勝ち取ってきた「権利」の中に生きています。たとえば女性の選挙権。介護や障害者への福祉政策。生活保護というライフライン。そういうものも、より進化させて後の世代に繋いでいかないと意味がないのです。

 

いま現在、そういう福祉制度がどんどん改悪されつつありますが、それをおかしいと思わないと駄目なんです。そう思えないと滅びへの一歩に気付けないままです。「茹でガエル」っていうじゃないですか。ぬるま湯にいたつもりがいつのまにか熱湯になっていてアウト、っていう… (ーー;)

 

そういう制度はよりよくしていかないと駄目だと思います。それと精神障害者はもちろんですが、いま存在する根拠のない偏見も是正していかないと。

 

 

「自分の子供」という形で生命のバトンを受け継いで、その子供が行く未来を良くしたいと親なら誰もが思うでしょう。そして親や祖父母が体験してきた苦労に報いたいと思うのも当然の気持ちです。世代の交替は緩やかに見えて、誰もの身近にあります。

 

遺伝子の生命のバトンだけじゃなくて、祖父母や親の「想いのバトン」を受け継いで、さらに充実させて、次の世代に伝えていく願いと義務が我々にはあります。

 

私には自分の子供がいませんが、そのおかげで、丈夫じゃなく、豊かな家庭でもなく、まあほぼ社会的弱者の立場ですが、だからこそ、気付くこと、だからこそわかる大切なことってあるのよね。

 

遺伝子の継承じゃなくても、次世代に伝えていけるものがある、と気付いた時には(昨夜ですが (^_^;))使命感のようなものに打ち震えましたよ (^_^;) 私にも出来ることがある。私だから出来ることがある。

 

だから自分を卑下する必要なんかこれっぽっちもないです。誇りを持てばいいと思います。

 

いま、いろんなアクシデントで、正常な社会生活にいられないことを余儀なくされている方々へ。

 

焦らなくても大丈夫です。いま現在の経験はまったく無駄にはなりませんから。むしろ、誰でもが体験出来ることではないことを体験しているから貴重です。

 

志のスケールを長く持って、少しでも明るい未来を見つめていきましょう (^_^)
私ってやっぱりINFJだなあ、と改めて思いました (^_^;)

 

 

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姪の年賀状に「7月に二人目が生まれます」とあった。嬉しいよ〜 (^_^)

 

 

 

 

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