読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「普通である」というのは単なる幻想じゃないですか?

 

疲労が表面化してきている

 

なんとなく…右膝が痛いような…気がする。昨夜まではなんともなかったから、またすぐに治るかとは思うけど…。昨日は今年最後のマッサージで、いつもは大丈夫な足から腰に来る痛みもちょっとあったし、普段はまず感じない好転反応というのかしら?あちこちの痛みや調子の悪さもあったかな。これは相当心身の疲労とかダメージが蓄積しているんだなあ、と実感しました。まあ、それでおかしくないここ最近でしたしね。

 

今日は訪問看護師さんがちょっと来られると思いますが、明日の予定のヘルパーさんはお断りしました。大人しく静かにしていたいです。多少散らかっていても年が越せないわけじゃなし…(ーー;) 気にしないようにしよう。

 

自分も老化していくからいろんなことが年々大変になるんだなあ…。母もよく年末にお煮しめとか作ってたなあ、と思います。ご飯を作るのは泣くほど嫌だけど、経済的に自炊が一番安上がりなので、やらざるを得ません(ーー;) これも立派なストレスだと思う。「好き〜。楽しい」とやっているのと、「嫌だ。やりたくない。嫌い」というのとでは天と地の違いがあるよね。きっと脳の中では…(ーー;)

 

 

 

「普通」っていうのはなんだろう??

 

とおりすがりの、うつ病の方のブログで、「友人知人の幸せを知ると自分がひどく落ち込む」というようなことを書いておられた方がありました。…まあ、わからなくもありません。

 

でもそれって「普通」という幻想が存在していて、その「普通」のカテゴリに入れない原因がたまたま精神疾患だっただけで、他の原因があってもおかしくはないのですよね。特別に精神疾患だけが悪いわけじゃなくて。

 

でも「普通」って本当になんだろう?他の9割くらいの人があまり疑問に思わずに歩いていく人生のコースということかしら??で、その「みんなと同じ」だと安心出来る?…のかなあ…?そのあたりがいまいち私にはわからないところです。

 

「普通」とか「普通じゃない」とかいうのは大多数であるか、少数派であるか、程度の違いしかないような気がします。まあ、少数派はどうしたって多数派の世界では生きづらいところはありますが、私は生まれてからずっと少数派で、それが自分には似合ってるという自覚があったので、多数派の人たちと自分を比較することはありませんでした。

 

むしろ、自分の歩きたいように歩けることが幸せだと思っていたので…。友人が一流企業に就職しようが、結婚しようが気にしたことないです。みなさん。自分の選んだ道で幸せになってね、とは願っていたけど…。

 

 

 

どうして多数派に属すると安心なの?

 

「普通」という幻想に囚われて、そうじゃないと幸せじゃないと思ってしまうと本当にずーっと幸せになれないから辛いですよね。不本意なことでつまづいたけど、そのきっかけで逆に新たに見えてくる自分の適性もあるし、別の方向に開ける可能性もあるし、新たな人との出会いもご縁もあるし…。

 

どうして「みんなと同じでないといけないの?」私にはそれがよく理解できません。こういう人間だったから、アドラー先生の心理学に違和感がなかったのかもしれませんが…。

 

人間、生身なので、いついかなる原因で病気や怪我でつまづくことになるかはわかりません。精神疾患でももちろんそうですし、生まれつきに心身の障害を持った人もいらっしゃいますが、そういうことが「普通じゃない」と言い出すと、「普通」ってそもそもなに?やっぱり幻想に過ぎないんじゃないの?としか思えないんですよね。

 

コピーしたみたいに似たような顔形で同じ方向を目指す人の群れの中で、そうじゃない行動をする人の方に私は生き生きとした可能性を見つけます。そして惹かれます。

 

 


我々のような双極性障害寛解はあっても完治はないとしても…うつ病の人に完治はあって、再発しやすい可能性はあったとしても、最終的に他の病気や不慮の事故など、老衰などで、「天寿を全うする死」にたどり着けたら、その人は病気に負けなかった強い自分を誇っていいと思います(^^) 

 

もちろん私もそうありたいです(^^)

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20161230091959j:plain