母のところに行ってきました。
今日の母はわりと元気そうで「ちゃんと食べてる?」と聞くと頷いておりました。まあ、泣きそうな顔をしているよりはうんといいですが。
で、また「早よ帰り」と言うので「それやったら次は来月14日がカンファレンスやし、その時まで来んでもいい?」と言うと、それもいけないらしい。要するに「すぐに帰ってもいいけど、頻繁に来て欲しい」という、それってすごくタクシー代がかかるパターンだよ… (ーー;) 自転車で行ける距離ならまだしも…。
まあ、なるべく叶えてあげたいとは思いますが…。
特養の家族交流会
10時半からの家族交流会は「看取り介護とエンディングノート」というテーマでした。
机の上にそのエンディングノートの用紙と鉛筆が置いてあるから、暇にあかせて書いていたら会が始まる前に全部埋まってしまいました。胃ろうの項目以外は。
特養で出来ることと出来ないことと大体明確になった気はしますが、病院で対処しても本当に回復の見込みがなくて、苦痛がなるべく抑えられるなら(ガンなどで痛みの緩和に医療的処置が必要な場合は別として)、できれば特養の自分の部屋で静かに最期を迎えられたらいいんじゃないかと思いました。
T病院の狭い病室では私も死にたくないからなあ…。それくらいなら、手を尽くしてそれ以上はやることがなければ、あの広い部屋で私がずっとそばについていてあげて、それで穏やかに死ねるほうがいいと思う。あの部屋居心地がいいから。
そういう内容も含めて、意識があるうちに孫たちに会いに来て欲しいとか、最後に聞きたい音楽とか、食べたいものとか、ひととおり、全部元気なころに母と話したことばかりなので、全部埋めてきました。
「苦痛は緩和して。でも延命はしないで」と言ってましたしね。
でも、実はその用紙はまだ特養でも試験的な内容なので、この先に変更や改良の加わる可能性があるんですが…。だから提出しなくてもいいんですが、「これ以上大きな変更はないと思いますし、参考になるなら預かってください」とお願いしてきました。
各ご家庭のお話を伺いました
その後、10名ずつくらいが2グループに分かれての家族会でしたが、みなさん、やはりエンディングノートまでは具体的に考えていらしゃらない方が多かったですね。
親きょうだいだけじゃなくて、おばさんの世話をされている方もありましたし…。今後はそういうパターンが増えそうですね。(私も含めて)
「死について」話すこと自体がタブーだったご家族もあったようで、まあ、そういう方々もこの機会に話しあって、心の準備が出来るのはすごく有意義だと感じました。
「父が亡くなる時に私は父に向って『生んでくれてありがとう』と言ったらしく、私は無意識であまり覚えてないんですが、横で聞いていた母が『確かに言うた。私の時にもあれ言うて欲しい』と言うので、最期はきっちり言ってあげないと母に恨まれそうです (^_^;)」と言ったら、みなさん、ウケておられましたが… (^_^;)
病気や死について話し合うことが、ごく普通の話題と一緒で、時には笑いながら話せる家庭でよかったなあ、と改めて思いました。もともとあの両親のことなので、病気も死も、辛くはあるけれども、いずれも「みんなでなんとかなる」と思っていたふしがありますね。だからマイナーやタブーにはならずに、人間としても「当たり前のこと」として認識出来る家族であったんだと思います。
病人は責めず、労る、癒す。死を過剰に怖れずいつか来るその日を粛々と迎えるために、日常の元気な時からどういうふうに過ごすか話すか生きるか暮らすか、そういうすべてが理想的だったのかもしれません。
…すいません。ちょっと哲学的だと思っちゃった… (^_^;)
私も甥や姪が困らないようになるべく早めにエンディングノート書いておいた方がいいなあ。
メメント・モリ…ですしね。