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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

人生数十年 病気じゃない時ってあんまりなかったと思う(再掲)

 

今年4月の記事の再掲です。

読み返してみると、私はやはり「失くしたもの」を数えるよりも「得たもの」を数えているなあ、と改めて思いました。

 

 

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昨夜、Facebookに流れてきた「世界自閉症啓発デー」にちなむ記事の中で、自閉症の子供から見える風景が映像化されていました。

 

irorio.jp

 

これを見た時に、こういう刺激の激しさは自分もかなり思い当たることがあると思いました。主に幼児期ですね。特にデパートなどは色も音も香りも光も、人の感情も刺激の洪水でしたので、多分、私は自閉症ではないだろうと思いますが、こういう刺激にはとても過敏に反応していました。

 

で、こういう場所に出かけた翌朝は嘔吐してすぐに意識不明に陥って入院、というパターンでした。いわゆる自家中毒というやつですね。あれから50年くらい経ってもいまだにはっきりした原因はわかっていないようですが、やはりこういう刺激が堪える子供がいるんだと思います。あとはストレスかな。

 

自閉症とは違うパターンの表現になりますが、なんだか似ている気がします。

 

私の場合、生後1歳過ぎから自家中毒の重い症状のパターンを起こすようになり、その都度入院のはめになります。小学校1年生の頃までそれは続きました。扁桃腺と関係があるかも、と扁桃腺の手術をして、そのショックで発病して(喉が切れてるのに吐いたら出血がね…)その入院を最後に起こさなくなりました。

 

 

中学生になってからは自家中毒そのまま片頭痛に移行した感じです。これも月に2、3度は起きたからまいりました。片頭痛も痛みがひどくて吐き気が来るから。これはホルモンバランスとも関係がある気がしますけど、やはりトリガーはストレスと強すぎる刺激ですね。

 

私は普通に人よりも若干色が見えすぎるきらいがあって、だからやっぱりデパートはダメでした。あと映画館もそうだな。音が大きすぎて、いままでで映画館には数回しか行ったことがありません。遊園地も条件によってはダメかもしれない。能楽堂とか美術館とか基本屋外な動物園とかは好きですが。

 

中学生の時は自分ではあまり気にしていませんでしたが、よくお腹も痛くて、それが慢性虫垂炎が原因だったと知るのは高校生になってからのことです。

 


思春期は片頭痛PMS月経前症候群)とPMDD(月経前不快気分障害にずーっと悩んでいました。中学生にしてどっぷり厭世観の虜に…。これは思春期以降も続いて、ずっと漢方の婦人薬を飲み続けるはめになりました。効果のほどはわかりませんが、気休め程度かな?

 

逆に更年期障害は楽だった気もしますけど…。…あ、こんなもので済むのか、という一種の慣れのような…(^_^;)

 

 

 

それでまあ、以前も書きましたが、高2の夏に修学旅行先の仙台で慢性盲腸が悪化して、家族に迎えに来てもらって、なんとか京都に帰って入院、手術。で、高2の夏休みは潰れました(ーー;)

 

大丈夫、と思って出かけた市バスの中で初めてのパニック発作が起きて、慢性盲腸となにか関連があったのかどうかもわかりませんが、まもなく慢性膵炎になって、学校もかなり休みがちになることになりました。

 

当時のことで覚えているのは、「出席日数が足りなくなるから、机で寝ててもいいから、とにかく来い!」というので、点滴を受けてタクシーで通学して、本当に机でねていたことくらいで、これは長くトラウマになって残っていました。

 

慢性膵炎、パニック障害、貧血などなど…。当時の私はあんまり辛かったからか、その頃のことをあまり覚えていないのです。テストは友達にノートを借りてなんとかなったけど、なにを勉強したのかとか、クラスメイトの名前とかも覚えていません。

 

17歳~19歳くらいまでのことはほとんど記憶がないんです。(さっき1974年…というのを考えていたけど、自分のことを覚えていないくらいだから、世の中のことも記憶がないみたいです)この記憶がない、というのも、もしかしたら自己防衛本能のなせるわざかもしれませんね。

 

ちょっと離人症っぽくなっていた時もありました。地に足がついていないし、誰の思考か感覚かわからないこともありました。魂が身体を離れて浮かんでいるような気分でした。

 


振り返ると私って「バリバリ健康です!」って言えるような時期はまずなかった気がします。

 

精神科を初めて受診したのが12年くらい前で、当初は難治性うつ病という診断が、8年後にやっと双極性2型になりました。

病名が変わったところで、生活が変わるわけもなくて、相変わらず在宅介護の日々でしたけど…。

 

10代の時は落ち込んだり、自己嫌悪に陥ったりしましたが、そのうちに開き直ったのかな?体調が悪くても、それなりに出来ることをやっていけばいいや、と思って、他の人と自分を比較するのもやりませんでしたし、できないことを嘆くよりも出来ることで生きていけばいいや、と思うとコンプレックスとも無縁でした。もともとマイペースな人間なので、抵抗がなかったんですよね。

 

10代の辛い時期、やっぱりしばしば「死にたい」とも考えていたんだろうけど、それよりもやりたいことがあって、多分それが「絵を描きたい」ということで、道を開く手伝いと原動力にもなってくれていたのだと思います。

 

 


病気とともに生きることを否定したら、私の人生はそもそもが全否定になってしまいます。「病気も友として一緒に行けばいいんだ」って思うから、今現在の双極性障害ともそれなりにつきあっていけるのかもしれません。

 

病気も、体質も受け入れるとやっぱりそこから見えて来るものがあるなあ、と思います。

 

だからやっぱり私は今の人生って大変だけど、それなりに好きだなあ。病気のマイナス面に負けない強さがあることもわかりますしね(^^)

 

 

 

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これも病院にあった藤田さんの作品。「アムステルダム」というようなタイトルだと思います。うろ覚えですみません(^_^;)

 

 

 

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