読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人を人たらしめるのは想像力と共感ですね 福祉関係のこと

 

のんびり…ではすまなかった仕事

 

昨日の午後、「決裁だけ先にしたいから、初稿のイメージだけでも送って欲しい」というメールが入ったために、9割以上は出来つつあった初稿のスクリーンショットを送りました。あそこまできたら、修正はあるとしても、結構な過程に来てるんじゃないかと思ったり…。

 

締め切りは月末だけど、締め切りよりも早く出来る可能性はかなりあると思います。なんかここの仕事はこういうパターンになりつつあるような気がしないでもありませんが…。でもありがたいです。眼鏡代みたいな感じで…(^_^;) ココナラでもそうだけど、フリーの仕事っていうのはそれなりの速さを要求されている気がする。仕事が早いこと=信頼、になるからいいんですけどね…。

 

クラウドソーシングで、気が進まない原稿を作るよりは私には向いてるかなあ、と思います。

 

 

弱者が感じている切実な危惧

 

昨日、四つ這いおとなさんの記事を読んで考えたこと。

 

yotubaiotona.net

 

yotubaiotona.net

 

この方が抱いておられる危惧について。

 

出生前診断」をこのまま拡げていけば、いずれ僕も「出生後診断」で殺される …というのは実は私にもあります。最近の風潮がどんどんそういう方向に拡がりつつあるのを感じるからです。

 

takasuka-toki.hatenablog.com

 

ここになんとなく入れたコメントに今みたらいっぱいスターがついていて驚きましたが…。

 

生きることにはお金がかかる。たくさん税金を払わないといけない。それを若い世代だけが辛い思いをするのは不公平だ、というところかな?

 

だから生産性のない高齢者とかに矛先が向くわけで、その矛先は障害者にもいつ向いたっておかしくないと思います。私も障害者のひとりだから、それはひしひしと感じます。

 

四つ這いおとなさんもそれを感じておられるのだと思います。

 


たまたま問題がないラッキーだったかもしれない

 

でもね、よく考えてみて。税金が払えるくらいに、ちゃんと働ける人って、それなりに健康で働けるという幸福には恵まれているのですよね。

 

人間誰しも生まれた時は人の世話にならないと生きられません。それが赤ちゃんというものです。無事に成人するまで、保護者のみならず、多くの制度に守られています。このごろは学ぶことさえも大変な時代ですけれども。

 

でも若くても病気や事故で、障害者にならざるを得ない人もいます。昨夜、高校生だけど脳梗塞で後遺症と闘う少年の記事も見かけました。10代でもそういうことがあるのですね。回復を願っていますが、なかなか難しいものもあるかもしれません。若さゆえのリハビリ効果が希望かも…。

 

mainichi.jp

(これはすごく難しい気がする まさか高校生が…って、でもあるんだよね)

 


交通事故などで、死なずにすんでも、重度の障害が残る場合もありますし。いろいろな運命を考えていると、「それなりに健康で働けること」が大変奇跡的なことのように思えてきます。

 

人間っていうのは元気な時には健康のありがたさがわからない生き物だったりするんですよね。たまに病気をするとそれがわかるんですが、おおかたは病気がずーっと続くわけじゃないから、元気になるとまた忘れてしまう。…でも「健康じゃない状態」が死ぬまで続くのが障害者です。

 

いくら医学が進んでも、死なない人間はいませんし、誰だって歳月が過ぎれば歳を取るし、全体的に老朽化していくから、認知症にならない保障や寝たきりにならない保障なんてまずありません。それが生物として自然なことだからです。たまーに死の直前まで元気で、朝になったら亡くなってたラッキーな(?)パターンもありますが(母方の曾祖母がそうでした)割合にしたら少ないと思います。

 

老衰で死ねる人はわずかかもしれません。だから介護もやっぱり必要になるし。自然の成り行きでもあります。でも介護の費用が無駄遣いかと言われたら、私は断固として反対するな。それだけ介護という経験を通して得られたものが大きかったからです。介護者だけのことではありません。介護される側の両親もなにかを得てくれたと感じていますので…。

 

みんなたやすく認知症の高齢者にお金を使うな」って言うけど、これを聞くと我々障害者だって「不要な人間」と言われたみたいに傷つくんです。わからない人が多いから、一度はっきり書きたいと思って書きました。

 

それでもわからないという人は、きっと死ぬまで病気も衰えもなく、あっさり知らない間に亡くなっているんでしょう。物忘れに怯える時がきても、「自分はそうじゃない」と認めないままかもしれません。

 

f:id:haruusagi_kyo:20160714084611j:plain


公平で平等な生命の法則 誰もが当事者になり得る

 

誕生→成長→成熟→老化→死、というパターンは万人に共通して平等なものです。

 

誰もが通る平等な道だから、それも幾世代にも渡って繰り返す道だから、特定の世代についてだけ考えるのがそもそもおかしいと思います。すべての世代が「自分のこと」でもあるし、「健康である」か「病気や障害者になる」かも本当に運命次第でどう変わるかわかりません。誰しもが他人事ではありません。

 

だから自分と違う世代、違う立場の人のことを無視して考える福祉関係のことも、その他、未来のことも全部をひっくるめて考えないとそもそもおかしいと思います。

 

若い世代の人たちばかりがわりを食うのも平等ではありません。それじゃあ、どうしたらいいのか?ってみんなでもっと考えよう、というのが選挙なんじゃないの?それもきっかけにすぎないかもしれませんが。

 

すべての世代の人が、すべての状況を「自分のこと」としてともに考えて路を選び、作っていかないと本当に不平等、不公平ではない社会は作れないと思います。世代間で分けて考えてもちゃんとした答なんか出るわけないじゃん。視野が狭すぎるし。

 

 

人の価値を考え直したいと思う

 

私もたまたま社会的弱者の立場にいますから、こういうことには過敏に反応します。同じように弱者の立場にいる人は多かれ少なかれ感じておられると思います。

 

認知症の老人は早く死ね、と言われると、私も同様に「早く死ね」と言われている気持ちになります。それくらい繋がっているのです。でも無神経な人は少なからずいるんですよね。もっと想像力を持って欲しいと思います。

 

某介護関係のSNSではこの「死ね」という言葉がNGワードになっていて、入力出来ません。でも現実では本当にたくさん使われているような気がします。介護殺人だって、誰にも無関係じゃないし、その刃はそのまま翻って自分に返ってくると感じています。

 

望んで認知症になったわけじゃない。障害者になったわけじゃない。けれどもそれを悪いことのように言われてしまうと、その思いもそのまま言った人に返る刃になると思っています。

 

 

誰も自分とは無関係ではない

 

「人を選別する」というのは「自分もまた選別される側である」ということなんですよね。それも自分が自ら望んでそうなるわけではありません。ほんのわずかな不運、運命のいたずらのようなことによって、です。

 

このことを理解するのに必要なのは学歴でも才能でもありません。想像力と共感能力だけです。赤ちゃんが生まれながらに持っている思いやりの能力でもあります。

 

たとえば生活保護についても誤解したり偏見を持つような人は「私には想像力も共感能力もありません」と自ら暴露しているようなものですね。

 

想像力と共感能力は動物にも見られる能力ですが、それが高度になると、本当に「人を人たらしめるもの」だと思えます。たぶん私はそれで人の価値を見ているのだと思います。

 

 

自分が障害者であることで、健康であれば気づかなかった視点を持てたこと、そういうことについてはとても感謝しています。

 

ここで改めて「健全な社会とはなにか?」と考え直す必要もありますよね。選挙結果などを見て、いまの状況を健全ととらえる人が多いのに実は危機的なものを感じているのが正直なところです。

 

いろいろ落ち込む現状ですが、生きている限りは黙ってはいたくないな、と思います。

 

f:id:haruusagi_kyo:20160714084545j:plain