私の頑張りが続くのは3日くらいが限度では…?
雨、上がったのかな?
今週は3日続けてご飯を作ることが出来ました。
まあ、スーパーに行けたおかげもあるんですけどね。
木曜日は油揚げを焼いて、ちりめんじゃこと野菜天などの練り製品を2種類くらい、大根おろしでおかずにしました。非常にあっさりさっぱり胃にも優しいから(簡単だし)好き。
昨日はナスの肉味噌炒めと…あれ?なんだっけ?あ、そうだカボチャの煮物作ったんですね。
で、今日は弟のリクエストでドライカレーとほうれん草のおひたしを作りました。私の場合はこれに毎日インスタントのみそ汁とあればお漬物がつきます。基本、野菜が好きなので、野菜がないとおかずが作れません (^_^;)
でも3日頑張ったから、明日は無理っぽいです。一度外食したいけどなあ…。明日は投票の日。途中の道にはコンビニしかないわ。仕様がないよね。せめて雨降らないで欲しいです。
私の場合、午前や午後にはまったく甘いものが欲しくなりませんが、夕方になると、甘いものが欲しくなってきます。で、雑炊とかカップ麺とか冷凍塩ゆで枝豆とか、夕食の中身はごく軽めなので、それに続けてデザートのような感じで甘いものを摂ります。小豆クリームのどらやきとかおいしいですね。暑い間はアイスクリームと。
それが大体6時前ですので、仕事やお絵描きもそこから寝るまでのあいだが一番はかどります。欲しいと感じたブドウ糖の補給がされたみたいに (^_^;)
あとは寝るまでなにも食べません。お腹がすいたと感じる時もあるけどそのまま寝ます。まあね、あんまり動かないし、寝ているのも長いし、まだカロリー多いんだろうけど、面倒だからもう気にしない。なんとなくこれでバランスが取れてるみたいだし (^_^;) 厳しく考えてストレスたまると逆効果でしょうし、それでいいと思っています。
潜在能力が発動する時
弟が子供の頃、熱を出すたびに熱性痙攣を起こす子供でしたので、(私は自家中毒だったけど)そのつど、両親は病院に走っていました。またよく鼻血を出す子でもありましたけどね。(いまだったら被爆云々と言われそうだが、50年くらい前ですから (^_^;))
小学1年生のころに最後の熱性痙攣が起きました。父はまだ会社。母は1年生にしては大きかった弟を抱きかかえて二階から降りてきて、病院まで走りました。あとで「どうしてああいうことが出来たかわからない」と言っていましたが、まさしく「火事場の馬鹿力」が発動したんじゃないかと思います。
お子さんがいらっしゃる方だったら、似たような経験をされたかもしれませんよね。「我が子を守りたい」という思いが常ならざる力を呼び起こした、というか。
ああいうのもひとつの潜在能力ですよね。
私の場合のパニック発作からの解放も似た感じだと思います。潜在能力っていうのを発動させる鍵は自分のためではなくて、むしろ限りなく「利他の行為」が多いと思っています。身近な利他、というか、まったくの他人ではない位置に愛をつなぎに存在するのが「家族」ですから、家族のために常ならぬ力が出てきても不思議じゃない気はします。その次に家族以外の対象になるのかも…。
痛みが一瞬で消えた不思議な体験
それと前にも書いたことがありますが、母が倒れて入院中に、母の病室で「これは介護が必要になるな。困ったなあ、左腕の痛み…」と悩んでたんですね。
それ以前に左腕は肩から上に上げることも出来ず、うしろに回してエプロンの紐を結ぶことも出来ず、結構どういう姿勢をしても痛んで困っていました。診断も通院もしていませんが、多分五十肩というやつです。
日常生活にもいろいろな支障があります。
深刻だとちゃんとした治療が必要ですが、ほおっておいても運が良ければ治ることもあります。
とにかく、片腕では介護はとても出来ません。うーん…、と唸っていた時にそれは怒りました。
ほんの1、2分前には頑固な痛みが腕や肩にあったのに、ある瞬間に、なんだか「あれ?」という感じがしまして、突然に左腕が動くようになりました。一瞬のことでした。キツネにつままれた、という感じでしたよ。
あれも非常に不思議な体験でした。個人的にはどうも亡き父や祖母が「ほれ、動かしたるから頑張れ」と力を貸してくれたようにも思います。
痛みが消えたら、筋肉の強張りは日常生活の中で戻ります。母の入院期間は18日くらいだったと思いますが、退院の時には私の左手はまったく問題なく痛みもなく動くようになっていました。
このことについてもいまだに考えていて、理由はいくつかありますけど、パニックの治った時のように納得解が欲しいなあ、と願っています。
似たような体験をされたことがある方がいらしたら、お話聴かせてください (^_^;)
潜在能力を呼び起こすポイント
これもやはりなんらかの潜在能力だとしたら、キーポイントはやっぱり「家族」なんですね。
どうも私の今生のテーマには「家族」というのが強い関わりで存在している気がします。自分が結婚して作る家族ではなくて、生まれた時からの家族の関係とか、成育環境とかもろもろ、非常に特別な意味があるように感じてしまう。
どこの国に、どういう性別で、どういう家に生まれてくるか、というのは変えられない宿命みたいなものだけれど、宿命からなにをどう学んで、どういうふうに自分の運命(変えることが可能な)に生かすことが出来るか、大きな人生の課題だよね、と痛感するこのごろです (ーー;)
お絵描き進展状況
ヒツジグサの花と葉を別々に描いています。
葉っぱとか、もう下書きもしないで描いちゃってますが、うまくまとまるかな?最終的に画面構成はやっぱりデザインの要素も入ってくるんですよね。