つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

物事には必ず「マイナス面」と「プラス面」がセットになっている

 

今日はぼーっとしているつもりでいたら、ココナラの仕事が入ったので、とりあえずそれをやってお返事待ちしています。リピーターさんだから余計に大事にしないとね、と思ったり…(^_^;) 一応真面目に仕事しています。しんどいけど、なんとか仕事モードに切り替えることが出来ています。またあとでどっと反動が来るのが怖いですが…(^_^;)

 


長男長女の永遠の立場と悩み

 

午後はマッサージの日なので、ちょっと一服って感じで休憩になりますけど…。人が仕事をしている横で私のベッドで弟がぐーぐー寝ていたら、気持ち的にはちょっと微妙な感じ。寝るなら私の見えない場所で(自分の布団で)寝てほしいんだけど…(ーー;) だって私もしんどいけど我慢してやってるから…。なーんか頭にきそうになるのです。これが子供とか介護が必要なお年寄りだったらそういうことは思わないと思うから、それが微妙な心境なんですけど…(ーー;)

 

なんだかなあ…。きょうだいの何番めに生まれるか?というのは子供時代だけでなくて、生涯影響がある気がします。弟も家族が居た離婚前は家長と言う自覚があったかもしれないけど、離婚後は結婚前の家族関係に戻ると一番下なんだよね。二人姉弟ですけど。介護のメインになることもないしなあ…。いいのか、悪いのか悩みますね。もしも私になにかあったら(入院とか死んだとか)弟にはなにもわからないかもしれません。それでいいのかな?と思います (ーー;) これって長男長女の悩みじゃないかなあ…。

 

 


昭和半ばの会社員たちも苦労してました

 

父などは11歳上の伯父が戦死したから、まだ十代の時から、「自分が家長」だと思ってたと思うんですよね。ほとんど一人っ子みたいだしね。その当時はまだ祖父母の老齢年金制度もなかったのですね。だから妻子のみならず、親の老後も面倒みないといけない、と思っていたと思います。戦後の経済成長を支えてきた世代ってそういう感じ。

 

祖母が高齢になって入院したら、やっともらえた年金と伯父の戦没者の遺族への弔慰金などで、「金銭面は兄貴がフォローしてくれた」と言っていましたけれども…。

 


昭和30年〜40年代くらいの会社勤めっていうのも結構ブラックだったかもしれませんよね。

 

週休2日じゃないし。休みは日曜だけだし。おそらく警備や時差がある海外との連絡のためかもしれないと思いますが、日曜日でも「日直」があったんですよね。だからどうかすると半月から3週間くらい全然休みなしだったくらいですね。

 

まあ、日曜日の日直の時は父しかいないから、お弁当を作って母と弟と3人で会社に遊びに行って、卓球とかしたりしてましたけど… (^_^;) 父の会社の定年ってその当時55歳でしたよ。信じられないですけどね。その後も嘱託でしばらく勤めていましたが、開発の仕事になってストレスで胃に穴が開きかけました。で、もう退職して、その後はしばらく別の会社に勤めてましたが…。

 

でも父もあんまり基本的に丈夫な人じゃなかったし…。若い時に結核やってるし。それでも79歳まで生きてくれたのはよかったかなあ、と思います (^_^)

 

なにも考えずに書き出したら、なぜか父の話になっちゃった。「書いてくれ」と言われてるような気がします。私がちゃんと伝えておかないと父の世代の苦労って伝わらない気がするし…。

 

長女には「この家の後始末」という大きな仕事もまだ残っています。もろもろ考えると、ぼーっとしている暇はないと思います。

 

 


マイナスだけじゃない、裏にあるプラスの面

 

一昨日、ある方に私は自分で運を捕まえる力があります、と言っていただきました。何事にでもプラスとマイナスがあって、たとえば介護に明け暮れた10年以上でも、大変だったけど、人とのご縁にとても恵まれたことや、介護しながらデジタルでのお絵描きの修業をする時間と機会に恵まれたこととか、そういうプラス面もちゃんと存在していて、そのプラスをきちんと捕まえることが出来る人間だということです (^_^;)

 

…そうかもしれないと思います。現状を嘆くだけだったらそこから先へは進めないけど、プラス面を見つけて捕まえてしっかりと自分のものにする、っていうのはやっぱり自分の力でないと駄目なんですよね。大きなマイナスには大きなプラスがあるなあ、ってことで…。だから苦労も大変そうに見えて実は得るものは非常に大きいということだと思います (^_^)

 

 

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