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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

自己啓発書で変われない理由・二次創作が出来ない理由

 

雨の朝は気分最悪… (ーー;)

この記事の下書きは昨夜のものです。

 

 

昼間でもなるべく横になっていると、漫画か、もしくは柔らかい内容の本を読むくらいしかすることがありません。Macに向えばやることが山ほどありますが、それはやっぱり身体が辛いので…。

 

去年の体調不良の時も、部屋にある本棚の本をほとんど再読したような気がします。別に速読したわけではないけれども、もう経験から結構読むのが速いので…。それでぼーっと考えていたこと…。

 

 

自己啓発書で変われない理由

 

昨日、Twitterでもつぶやいていましたが、自己啓発書では人生は変わらないんですよね。それはもう、ものすごく明らかに (ーー;)

 

もともと私は自己啓発書はほとんど読まない人間です。身に付かないのがわかってるから。

 

なぜかといえば、当然ですが、著者と自分とは違う人間だから。著者がたまたま上手くいったことが他の人間に当てはまるとはとても思えませんし、当てはまる人が存在してもごくわずかだろうな、と思うからですね。

 

共通点が多い、と感じたアドラー先生すらも、4、5冊読んだら「もう、いいや」という気持ちになりました。だっていくらアドラー先生が否定してもトラウマは存在するし、霊的世界もそれなりに存在するんだよ。で、それが私にとってはより真実に近いから、納得出来たところだけ生かせばそれでいいんです。近いと感じてもやっぱり同じ人間ではないしね…。まあ、面白い体験はさせていただきましたが、もうこれ以上本は読まないと思います。骨子は掴んだし。あとは自分なりに応用するだけですね。

 

 


半世紀以上生きていると、自分自身が心と身体で経験してきたことが、かなりの重みを持って存在してきます。で、現在の「私」という存在を作るのに役立ってきた本というのも実に多岐に渡っていると実感します。

 

たとえば、非常に感銘を受けたフィクションなり、ノンフィクションなりがあったとします。好奇心がある人はそれ一冊を読んだだけでは満足しきれなくて、その作品が生まれるのに影響を及ぼしてきたものに触れたくなりますね。バックボーンを知りたいと思うようになりますね。

 

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私は大抵の場合、このタイプで、ひとつの作品を中心に上下左右斜めにまで手を拡げて読んでしまいます (^_^;) 「知る」ことの純粋な面白さがありますよね、この発展系読書の中には…。

 

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単なるファンタジーでも、神話的に探っていけば思いがけない発見があったり、意外なルーツみたいなものにぶつかったり、そういうまわりを埋めていく作業っていうのがまた面白いんですよね (^_^;)

 

まあ、結局は乱読になりますが、この乱読が偏らない長所になって、醍醐味にもなりますね。私は子供の頃からずっと好奇心の赴くままに乱読してました。

 

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中学や高校で古典や地理や歴史、現代国語とか学ぶでしょう。そうするとまた好奇心がうずうずしてきて、いつのまにかまわりのことや、授業では習わない範囲のことまで読んでたりするんですよね。

 

国語だったら、教科書に出てくる1章だけでなく、作品全体を読んだり、それで足りずに作者の他の作品群にまで目を通したりして…。

 

古典もそうでした。原文と現代語訳を並行して読んでいるうちに、リズムのいい原文は覚えてしまったり…。でもあくまでも自分の楽しみで読むから、文法とかはほったらかしですけど… (^_^;)

 

地理だと地図はもちろん、旅行記とかガイドブックとかそういうのかな?そのうちに単なる地形図が三次元で見えてくるのが楽しかったです (^_^)

 

歴史だとやはり小説がとっかかり易かったかもしれません。どうも私の好奇心はあっちこっちに跳ぶみたいですが、そうしているうちに、結構身になってしまうのですよね。その乱読から始まった、「読書で得たもの」が。

 

多分、そういうものが現在の私の独自のものになっていると思います。好きな作品、好きな本は自分が生活の中で幸せな時も、辛い時も何度でも読み返すでしょう?…その時々に励まされたものが私の血肉になっているのですね。

 

 


こういうのって自己啓発本にはないわなあ…。今、読んでみて、たまたま「ああ、これってわかるわ」と思うことも、すでにとっくに私の中では存在しているものを確認するにすぎないので…。

 

 

 

二次創作が出来ない理由 


ところで、すでに原作が存在する作品、小説や漫画やアニメについて、そのキャラクターや世界観を利用して、二次的な作品を生み出すというのが、いわゆる「二次創作」ですが、私は昔からいくら好きな作品でもそれが無理だったんですね。

 

イラスト一枚でも描けばそれで満足しちゃって、わざわざ人様のキャラをお借りして遊ぼうとかいう気持ちにはなれなかったのです。

 

 

 

もしかしたら、その理由も今書いた読書にまつわることと共通するものがあるかもしれません。

 

物語世界を構築する、という手間ひまをかけなくてもいいんですよね、二次創作って。だからみなさん、アニメの放送が終わったら、次は別の作品のキャラで…、という感じで移っちゃう人も少なくないと思います。まあ、長年同じキャラでこだわっている人もいますけど…。

 

 

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オリジナル作品だとファンタジーならファンタジーで、時代物なら時代物で、世界を構築する作業とか、時代考証だとか、膨大な手間ひまを要求される作業が必要になるんですよね。まあ、現代が舞台ならまだしも、SFだったら、また勉強が必要ですし…。そういうのが苦手でも描けちゃうのが二次創作かな?って面もありますよね。

 

でも、背景のためにしっかり調べて描きたい、というあたりのこだわりが私の中にはあるみたいで、だから安易に二次創作が出来ないんじゃないかなあ、と思いました。

 


…とか言っても、結局自分のキャラが一番可愛いだけの理由かもしれませんけどね (^_^;)

 

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