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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「良き自立のためには良き相互依存が必要」ーみんな誰かのサポーター

 

思いかえすと、うちの母は「私が今度こういうことやろうかと思ってるんやけど…」という話をすると、「そうか、頑張り。あんたなら出来る!」と思いきり請け負って背中を押してくれる人でした。ピグマリオン効果だな(^_^;)

 

あの肯定感はすごかったなあ、と今にして思う。不思議と力が出てきたもんね。で、実際に頑張れたりするんだな。「あんたなら出来る」には信頼も入ってますからね。背中を押すにはもってこいの呪文だと言えましょうか… (^_^;) でもあの信頼はどこから来るのやら…?いまでも変わっていませんが… (^_^;)

 

 

 

昨日悩んでいた朝のゴミ収集については、早速相談を持ちかけたヘルパー事業所が動いてくださいまして、お昼には所長さんが書類を持って来られて、素早くサインを持って帰られました。あとは提出して、担当の係の人がどういう判断をしてくださるかによりますが、半月くらいでわかると思います。ダメだったらまた別の方法を考えます。

 

 

 

自分と弟の病気、両親の介護で、思いきり社会的弱者の立場になって、わかったことがたくさんあります。

 

世の中には、困った時に利用出来る公的制度がたくさんあること。サポートしてくださる方はみなさんプロとしてのお仕事でサポートしてくださるので、場合によってはまったく費用がかからない場合もありますし、かかってもわずかな金額で利用可能なことが多いのです。

 

今はネットでそういうサポートのあれこれについて、簡単に調べることが出来ますし、利用が可能な条件にマッチして、利用出来るものはやればいいと思います。

 

 

 

昔、私の子供の頃には向かい三軒両隣、お葬式の時などは地方から来られた親戚の人たちのために食事の用意をして、着替えの場所を用意して、小さな子供の面倒を見て、ということをやってたんですね。ここは一応京都市内ですけど…。そういう助け合いは残っていました。

 

今はお葬式も会館で家族葬になっていますが、その当時は町内会から、受付(帳場といいますが)で名簿をつけてお香典の管理をしたりとか、町内会役員有志がやってたんですね。そういうのって今はもうないでしょ?

 

冠婚葬祭も本当に個人的なものになってしまいました。その当時を知る人たちもみなさん80歳に突入しておられます。このあたりはそんな感じですが、よほど地方に行かない限り、似たようなものではないかと推測されます。

 

 


昔はあったご近所の助け合いのかわりに、今存在しているのが公的制度と援助なんですよね。考えてみれば、これは余計な負担をかけない、負担に感じなくて済む合理的な制度かもしれません。

 

実際に利用してみると大変ありがたいと感じることがほとんどです。身内とか家族とか親戚じゃないから話せることってありますし。みなさん、話を聞いても守秘義務があるから黙っていてくださいますし、おかしな噂になる心配も少ないと思います。

 

 

 

で、実際に利用してみて、有難いと思うほどに、いままでにこの制度を作るために心を砕いてくれた人がいて、捨て身で協力してくれた人がいて、実に多くの人のおかげさま、で出来ているんだなあ、と思うと、自分も次に利用する人のために役立つことをしたいなあ、と思わずにはいられなくなります。

 

ホントにね、よく「前例がない」って言いますが、その前例を誰かが作らないといけないわけで、そのために力を尽くしてくれた人には感謝の気持ちしかないですね。その中にはもちろん政治家の人だっていたと思いますし…っていうか、政治家が動いてくれないと制度も成立しないので、親身に動いてくれる政治家に投票したいなあ、という気持ちも自然と生まれてくるわけですね。

 

 


「良き自立のためには良き相互依存が必要」というのは前にも書いた気がしますけど、ドラマ「日本の面影」で山田太一さんが書かれた忘れられないセリフです。

 

依存というとよくない意味に思われますが、自立のためには必要不可欠なことです、元気で働いている人でも、友人や家族などの目に見えないサポートに助けられていると思います。多くの「誰かのおかげ」で社会生活って成立しているのだと思います。人間は本来一人だけでは生きて行くことは不可能な生物としては強くない存在ですから…。だから「社会」が必要なんですよね。

 

社会の中でサポートすることが大切だという実感から、福祉などをメインにしたあらゆる制度が生まれて発展してきたんだと思います。国民皆健康保険なんかもすごい意味ありますよね。「制度」という形のサポートです。

 

 


たくさん支払わないといけないからしんどい、と感じていても、一転自分が受給する立場になってみると、そのありがたさがわかります。健康できちんと支払えていたんだなあ、という幸福も…。

 

サポートを受ける立場になっても、なんらそれを卑下することはないと思います。いつかまた自分のできる形で誰かの役に立てればそれでいいし(^^) 「良き自立のための相互依存」って多分そういうことじゃないかな。

 

 


こういうことは弱者の立場になって、自分が感じてみないとわからないことかもしれませんが、身近な家族や友人の奮闘を見ていてもある程度わかるかなあ、とも思います。どこまで、どういうふうに寄り添えるか…かな?

 

実感として理解出来る立場にいることがそれはそれで嬉しいことだと言ったら理解してもらえるでしょうか?30年ぶりに「いつでも、行きたいところへ一人で行ける」嬉しさとも共通点がありますしね(^_^;)

 

 

 

実は私は社会的にというか、事業が成功した人にはあんまり興味がないんですね。まあ、よほど世界を変えるほど、多くの人に役立つようなことをした人は別としても…。自己啓発本は大抵面白くないし… (ーー;)

 

福祉制度の陰で名前も残さないくらいに、ひっそりと、でもしっかりと働いてくれた人を尊敬しています。で、そういう人たちに憧れるというか、そういう生き方がカッコいいと思うし、わずかでも自分もそうなれたらいいなあ、と思ってしまいます。

 

サクセスストーリーは読んでてもつまんない。だから自分にとってつまらない人生にはしたくないなあ、と思います。まあ、自分がぐずぐず言っている立場だし、行動出来ないのが悔しいけど、そこはそれ、出来ることだけでも、と… (^_^;) 

 

 

そうしたら死ぬ時に後悔だけはしなくてすむだろうと思います。自分では上等な人生だと思うな(^^)

 

 

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