つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

『わたし』が変われば『世界』が変わる

いやー、参った(ーー;)

 

昨日から、台所に行くと床に敷いてあるカーペット(床のボロ隠し用)やらマットやらがびしょびしょに濡れていて、スリッパで歩いてもスリッパごと水浸しになる状態。

 

弟とお互いに「なにかこぼしたか?」と聞いてもこぼしてないですし…。どうやらこれは冷凍庫から漏れているんじゃないかと思いました。冷凍庫はもとは弟が二階で使っていたものですが、去年ネズミがコードを齧ってダメにしてくれたんですよね。弟がなかなか修理できないもので、結局私が動かないといけないネズミの二次被害(ーー;) もー… (-_-メ)

 

もとは解けた氷だと思うんですが、ほとんど黒い水が下に10センチ近く溜まっていて、緩んだ栓から漏れたと推測されます。ぞうきんじゃ追いつかないから古いお椀で掻き出して、タオルで残りを吸い取って、綺麗なタオルで拭いて。さらにエタノールで拭いて…。なんで朝からこんなにしんどいことやってるんだろう?と思いました (ーー;)

 

いままで敷いてあったカーペットは役に立たないので、カット自在なクッションフロアというか、シートみたいなものを貼ればいいのかな?でも多分糊とかついてなくて、他にも必要なものがあるんですよね。材料を揃えておけばシルバー人材センターでもお願いすればいいのかな。ひとりでは冷凍庫なんか重くて動かせませんし…。

そう言うと貼りたいところってトイレの床とかもあるんですよね。トイレの床は木なので…。

 

築50年以上の古い家に住んでいると、もうあっちこっちに故障や不具合や壊れたところが出てきて、とても補修が追いつきません。私の頭痛の原因の一つです。「家を片づける」というか「家系の後始末」というか、そういう役目にぶつかったから、どうしてもそういう苦労はありますね。

 

私は「イエ」という価値観のこだわりはないので、遠くで血縁の甥や姪が元気でいてくれたらそれで十分だとおもっています。だからこそ、負の遺産は残したくないですね。

 

 

 


「嫌われる勇気」の中に実に明確なテーマがあります。

部分的な引用ですが…。

 

哲人「旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも『導きの星』が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。
この指針さえ失わなければいいのだ、こちらの方向に向かって進んでいれば幸福があるのだ、という巨大な理想になります。」

青年「その星はどこにあるのですか?」

哲人「他者貢献です。」

青年「……他者貢献!」

哲人「あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、『他者に貢献するのだ』という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」

 


私なりに自分らしく生きていたら、いつのまにかおのずとこういうところには辿り着いていました。


「つまり、『わたし』が変われば『世界』が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ『わたし』によってしか変わりえない、ということです。


私にはとてもわかりやすい実感でしたが、深く考えないと呑み込めない人も少なくないようです。でもせっかくの機会ですから、その思考は大切にしてくださいね (^_^) 

 

こういうのが腑に落ちる条件みたいなもので、自分の病気とかその他もろもろ、「どうして私だけが辛いめに?」と思うようなことが多々あるんですが、実際には辛いのは自分だけじゃなくて、みんなそれぞれにしんどい思いをしてるんですが、自分の視野の中に捕われていると気付かないだけなんですよね。

 

辛さの内容は人それぞれで、個人的なその人の課題ですが、なんとかしようと頑張ってる部分は共通で、そういうところから励みになることは出来ますし…。

 

私個人にはこれがごく自然体ですから、特別でもなんでもないのです。だから会社の時間外のおつきあいなんかには行きませんし、そもそも会社勤めはやっぱり向かないと思っています。嫌われる人には嫌われてもかまわない、という勇気は実際に持ってみると実にすがすがしいものだと感じます。

 

これもいまさらで、私は子供の頃からそうでしたけど、なぜだか毅然としているといじめにも遭わないんだよね。なんだか世の中ってそういう感じのものみたいです。

 

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