つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「受け入れること」から生まれてくる力がある

そろそろまた微熱のシーズンが戻りつつあります。冬場はわりと平熱っぽい数字が続いていたんですが(36度台後半)カレンダーよりも正確な自律神経のリズムに自分でも感心しつつ呆れています(^_^;)

 

 

ココナラの仕事はやっと一段落したんですが、今回はどうもいまいちだったみたいです。

「淡い感じ」というから淡い感じにしたら、微妙に違ったみたいで、それ以降も数回の修正を重ねましたが。結局お望みのままのイメージには届かなかったみたいです。それ以上の修正は申し訳ないということで、妥協してくださいましたが、なんだか悔しいなあ…(ーー;) 感性の違いだと言われたらどうしようもないんですけども…。

 

いままで90件ほどやってきて、ずっと5点満点だったのに、初めて4点の評価で、残念至極です。結局どういう形でやっても仕事っていうのはうまくいかない方が多いとは思いますけどね。

 

自分の気力体力と精神的なモチベーションとか、身の回りの状況とかもろもろ考えると考えるほどになにが最善なのかわからなくなるからですね。あんまり悩むとまた血圧が上昇するかもしれないから、成り行きにするのがベストかもしれませんが…。

 

 

 


歳を重ねていくと、結局「受け入れる」ことが少しずつうまくなっていくというか、抵抗がなくなっていくのかもしれないなあ、とこのごろ感じています。

 

自分の病気のこともね、治るとか治らないとかが人生の目標ではないのですね。なんとなく病気である自分を受け入れて、上手に共存していくのがベストだと思っています。

 

だって「病気が治る、治す」っていうのを人生の目標にしてしまうと他にはなにもできなくなってしまうので…。治すことだけにこだわっていると、気が付いたらなにも残るようなものがない、ということになりかねませんしね。

 

そもそも完治がない、と言われている病気だから、治そうとするエネルギーを他のことに使う方が生産的だと思えます。これも「死ぬ瞬間から振り返る」と自ずから見えてくることですが…。

 

そのときにそのままの自分で出来ることをやるしかないですね。ないものねだりをしなくても出来ることはあるはずなので…。

 

「諦める」のでは決してなくて、あくまでも「受け入れること」ですね。それにも勇気が必要かもしれませんが…。闘うのでなく、諦めるのでもなく、「受け入れること」。そこから始まる病気との付き合い方があると思います。

 

あー…。これもアドラー心理学っぽいなあ…。アドラー先生も幼いころから病気と付き合ってきて、その過程でいろいろと気づきに恵まれてこられたみたいですからね…。そこも私と似ています。

 

 


介護もそうかなあ、と思います。母が特養に入って、そろそろ1年近くになるのに、いまだに会いに行けない弟は「母の老いを受け入れられない」んだろうと思います。痩せたりやつれたり片足がなくなっているのを正視するのが辛いんだろうと思います。

 

正直、私には理解できない心理ですが。

 

私は両親の老いの変化を見つめることで受け入れてきた気がします。そしてちゃんと見つめていることで、親を「かわいい」と感じる気持ちも生まれてくるのではないでしょうか。「みっともない」でもなく「かわいそう」でもなく「かわいい」んですよね。

 

 

 


肉体を持って生きている限り、誰も同等に歳を取りますし、生身なら病気にもなりますし…。順調ばかりな人生でもないし、苦労はいっぱいあるし、泣くことに比べたら、楽しいことが多いわけでもないし…。

 

…でも、そういうふうにみんなして頑張っているんだなあ、と思うと、どの人の生も人生もとても愛おしく大切なものだと思えてきます。かけがえがないからこそ、愛おしくて、営みが美しいんでしょうね。

 

そういう方々に出会えたことは幸せです。ありがとうございます。

 

どうぞ今日も明日も穏やかで、平凡で大切な1日でありますように…(^^)

 

 

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