つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「死の瞬間から人生を振り返る」という視点で見つかるもの

また明日は母のところに行こうと思いつつ、今日はなんとかご飯が作れたので、どこにも行かないつもりです。ちょっとあちこち電話する必要があるので、午前中はそれで時間を取りそうな…。

 

取りあえずこれだけ更新しておきます。とりとめのない雑記です。まだお彼岸気分。

 

 

 

私のようにこの人生でもわりと長く生きてきますと、いろいろなことが見えてきたりします。

 

いままでの人生よりもこの先の人生の方が明らかに短いわけですね。そうすると私の場合は、まあ昔からそういう傾向がありましたけど、「未来を見る」よりも「死の瞬間から現在を振り返る」ことの方が自然になってきます。もちろんこの先の夢がないわけではありませんが、いままでを振り返って、自分がいままでに得てきたものを思う方が幸福を感じるのですね。

 

いや、昨日たまたま、介護のSNSの方である方が「親の介護のために自分の人生を諦めて…」と嘆いておられるのを目にしました。この人にとっては辛い現実だし、実際に楽だとは私も言えません。正直、本当にしんどいときはしんどいです。それをいうとこの双極性障害という病気もそうですが。

 

どちらも最中は本当にしんどいです。それは確かです。が、最中でも一息ついた時など、もしくは介護の場合は無事に看取りを果たしたのちに、振り返ると実になくしたものの何倍もの収穫を得たことに気付きます。

 

自分のためよりも「誰かのため」の方が頑張れたりするから、人間って不思議です。

 

(ちなみに介護のSNSで嘆いておられた方は、そういうしんどい現状があるのに、さらに在宅介護を推進する国の方針に疑問を呈しておられました。介護施設の充実と介護士さんたちの待遇改善が真っ先に必要なのはいうまでもありませんが)

 

 

 


私は子供のころから常に振り返る習慣も内省の習慣もあったので、そういう「得たものの価値」を見つけるのが上手かったりします (^_^;) 子供の頃からアドラー的考え方と感じ方をしながら生きてきたみたいです (^_^;)

 

面白いもので、私の思考パターンですと、「誰かのために自分が犠牲になった」とかはまったく思わないのですよね (^_^;) 大変だったけど、学べたものの方が明らかに多くて重い、ということに気付くと、困難があっても、くじけることがあまりなくなります。

 

あらゆることにくじけていたら、私はとっくに生きていないと思いますし。

 

「病気のために出来なかったこと」「介護のために出来なかったこと」を数えるよりも得たものを数えた方がお得です。後悔しなくてすむから。

 

だってさ、病気になったから、病気の人の辛さがわかりますしね、家族の辛さもわかりますよね。介護の大変さも辛さもわかるから、より多くの同じ立場の人のためになにかが出来るかも、なにかのサポートが出来るかも、って思いますよね。そういうのって弱者の立場になるとか、そういう人のそばにいないと気付けないことだったりするんですよね。健康で生涯いられたらありがたいことですが、でも病気の人の辛さの実感は得られませんよね。

 

誰かのためになにかをしてあげられる機会があるってすごい嬉しいと思います (^_^) …っていうか、幸せだと思います。たぶんそれっていうのが人生の目的だと思います。

 

経験はすべて自分の血肉になり、やがてはより多くの人のために還元されるっていうのが理想だなあ。

 

 

 

どこかで読みましたが、「死の瞬間から振り返る」ことと「宇宙の視点を持つ」というのがすなわち「悟り」である、というのですね。それも言い得ているかもしれません。

 

…なんだかあちらの世界のような視点になっていますが、まあいいか、お彼岸だから (^_^;) ご先祖のだれかが書け書けって言ってるのかもしれません (^_^;) 非表示になっているレイヤーの向こうから。

 

 

 


介護の世界も自分もやがては行く道。親だって好き好んで介護が必要な病気になったわけではありません。認知症もまだまだ原因も治療法も届かない病気です。それだってなりたくてなる人なんかいませんよ。それでも加齢とともにそういう変化をしていくんだから仕方がないことではあります。長生きをすることと同時に手に入れてしまった宿命ですね。

 

自分もいずれはそうなるかもしれません。ならない保障なんかありませんから…。そう思えば、いま認知症になっているお年寄りに優しくしていてもバチは当たりません。それどころかまわり回っていつかは自分に戻ってくるかもしれません。(こないかもしれませんが)

 

私の母は「あんたらが知らん人に親切にしてもろうてたら嬉しいから、そやから私も親切にしてあげたいんや」と言っていましたが、これって「お天道さまが見てるから、悪いことはできません」っていう気持ちと同じですよね。

 

「お天道さまが見てるから…」というのは宇宙的な視点かもしれないなあ、と思います。誰も見ていなくても、悪いことはしません。人に優しくします、っていうのは結局「あなた」は「私」だからです。

 

…またややこしくなってきたな。でも宇宙的な視点だとそうなりますよね。今の自分の肉体を構成している物質はやがて自然に変えって、さきの未来でまったく別の生命体の肉体として再生するかもしれませんし。魂があるとしたら、魂にも還る場所があって、究極には「大きなもの」に溶け合ってしまうのかもしれませんし…。

 

 

 


私なんか、世間的な基準で行くと、満たされているものが明らかに少ないわけですよね。でもそれが不幸だとか思ったことないですし、これで逆に世間の価値観にとらわれないおかげで、自己肯定感もマイナス面も含めたありのままの自己受容も容易いのです。ホントにアドラー的だよね~。

 

生きている人も、すでになき人も等しく宇宙の一片を構成しているわけです。いつかどこかの世界で、宇宙の片隅で「あなたの幸せは私のしあわせ」って感じられる時が来るかもしれません。まあ、そういうのが天国とか極楽とかかもしれませんが。でもそういう天国のような世界の破片も今この世に生きている私たちの中にも存在しているのだと思います。

 

 

頑張って行こう。

 

…もしかしたら、やっとちょっとずつ鬱から抜けつつあるかもしれません。あんまり自信ないけど。次に描きたいイメージも降りてきたし… (^_^;)

 

 

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