お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

子供の頃から「生きる」ために「死」について考えていた

今日も長時間ベッドと仲良くなっていました。昼間はなるべく横になるのを我慢しているんですが、一旦本当に横になると、本当に起きられなくなります。今現在、血圧の薬をやめてからわりと経ちますが、順調に極めて正常な値で、よほどでないかぎり高血圧を心配する必要もないようです。不整脈もないし。いや、むしろ脈が遅めだから動きづらいのかしれませんが…。内科的には悪いところがないので、どうしたってこれは双極性障害によるものでしょう。

 

昨日、訪問看護師さんと話していて、「先生は本当はラミクタールを増やしたかったみたいですけど、前の時の副作用を言ったら、結局増えませんでした」というと、「いらないと言ったら、増やさなくてもいいから、と言われましたか?」とちょっと驚かれた感じだったので、迷っている患者さんだったら処方される場合が多いのかも…と、思いました。私は結構はっきりと意思表示をするからなあ…。副作用が大きくて生活に余計に支障がある薬だとやっぱり困るので…。

 

仮に、自分がガンになったとして(どうも私はならない気はするけどそれはわかりませんしね)、外科手術はお願いしても、そのあとに抗がん剤とかが必要でも、あまりにも副作用が強くて、それによって気力も体力も奪われるような場合ならお断りするだろうな、と思いました。痛みはなるべく取って欲しいけど、ギリギリまで動けて自分のやりたいことをできる方がいいですね。それで寿命が短くなったとしても問題ないです。ギリギリまで動いて、ばったり倒れて数日くらいで逝けたらベストかもしれません。一番悔いが残らないケース(^_^;)

 

 


子供の頃に「死ぬのが怖い」という恐怖に取り憑かれた経験はありますか?

 

私はあります。まあ、もともと弱い子供だったというのもあるんですが、入院しなくなってから、小学生時代は自分の身近で感じる「死」が怖かったです。学校で階段から落ちて大怪我をした子供とか、公園のブランコで(あの向かい合わせに座る箱のようなブランコです)下敷きになって亡くなった近所の子とかがいて、そういうことからも恐怖を感じたし、小学校3年生の時に祖父が自宅で亡くなっていますしね。

 

そのあたりのことから漠然とした恐怖はいつもあったかな。それがなぜか怖くなくなったのは12、3歳の頃です。ホルモンバランスが大きく変化する時期で、この頃から片頭痛が始まっています。

 

私の片頭痛はとてもはっきりした前駆症状がありました。緊張型頭痛はもっと以前からありましたが、片頭痛前駆症状は「生あくび」と「閃輝暗点です。教科書や黒板を見ていても目の前に白いまぶしい光が走るので、ホワイトアウトした状態で、教科書も読めなくなります。これは血管が視神経を圧迫するから起きるらしいですが。

 

「あー、またきたなあ」と思っていると、それが消えると入れ替わるように強い頭痛と吐き気が襲ってきます。(その状態の中で模擬試験とか受けたことあるけど、よくまともに点数取れたなあ、と思う)

 

この片頭痛が月に2、3回起きるようになって(でも学校は休みませんでした)月経前症候群PMS)のひとつとして厭世観に苛まれるのが当たり前になってきてからかな?それで「死」というのものを特別なことだとか、怖いものだとか思わなくなったみたいな気がします。PMS自体がうつときょうだいみたいなものだと主治医の先生には言われています。昔から傾向はあったってことですね。

 

 


思春期以降はずっと「死について考える」のが私には当たり前のことになっていました。死について考えることが逆に生を実感する手段になっていた感じですね。もともと内向的なタイプだったこともあるし、うわべだけでもいい友達とのおつきあい程度はしていましたけど、そうじゃない時は適当にほおっておいてもらえるのがありがたかったなあ… (^_^;) まあ、こういうことを考えている子がまわりの普通の子と合わないのは必至ですが。

 

それでも考えずにはいられなかったのですよね。そういうことが現在の私のパーソナリティを形成していると思います。

 

でも本当に「いつか必ず来る終わり」があるから限りある現在の瞬間が貴重なんです。なにしろ悲劇のヒロイン願望がない人間なので、人生の幕引きはごく当たり前に出来たらいいなあ、と思っています。

 

病死とか突然死とか、やむにやまれる事故死や事件に巻き込まれるとか、そういうことまでは「普通の終わり」だと思います。孤独死だって、突然の病気とかなら「普通の死」ですよね。そういうのはすべて寿命だと思うので…。

 

唯一駄目なのが自分の意志で勝手に断ち切ってしまう「自殺」だと思います。それまでの自分の人生に負けて、中途半端で棄権してしまうのは「やりなおし」にはならないのですよね。霊的には生まれ変わるどころか、いつまでも辛い苦しい気持ちのままでいないといけない、浄化出来ないとも聞きますし…。

 

スピリチュアルだけじゃなくて、他のジャンルでも同じような警告がなされているところを見ると、ホントにそうなんじゃないかな、と思います。仮にですが、魂というものが存在していて、長い時の果てに生まれ変われると想定しても、自分がつけた傷は魂に残るだろうし、それによって次の生が楽なものになるとは思えないですよね。

 

 

 

まあ、ですから私は自分の人生をしっかりと肯定して死にたいし、かっこよく言えば人生そのものがアートみたいっていうのもいいなあ、と思います。早まらないことですよね (^_^;)

 

もしも私に入院が必要なことになっても、今お世話になっている二人の看護師さんが力を貸してくださるようなことを言ってくださっていましたので、その時はその時で相談することにします (^_^;) いろいろと相談にのってくださる方が多いっていうのも有難いなあ、と思っております (^_^;)

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20160318092059j:plain

 

 

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.