朝の私は半分幽霊のような感じです。外出準備ができるまでに3時間が必要だってことは、なんとか動けるようになるまでに、それくらいは必要なのかもしれません(ーー;) かろうじてその半幽霊状態でもPCの雑用だけはできるようです。メールチェックとかそのあたりね。
はー…。でもやりかけの仕事が二つ完結しないまま、「すみませんが、今日中にお願いできますか?」という仕事も入ってきたし。…みなさん、なんでそんなにギリギリでないと動けないんだ。私もそうやって3時間かけて準備しているのにさ…。急を要するみたいだし、飛び込みで受けるけど、割増料金とか設定が必要かと思ってしまう。でもそうしたらいつも急ぎの仕事になっても嫌だしね(ーー;)
下の文章の下書きは昨夜のうちに書きました。仕事に入るので、その前にアップしておきますね(^_^;)
「将来の夢と現実」に関する記事を見たもので…。
「大人になったら何になりたいですか?」って聞かれたことありますか?
私はその質問が記憶にないんです。おそらく聞かれたり、卒業文集のテーマになったりしていたんだろうと思うんですが、ホントに覚えていないことを見ると、ほとんど適当にお茶を濁して答えてたんだろうなあ、と思います。
実は私って、「将来なにになりたい」という夢を持ったことがないんですよね。本当にいくら振り返ってもないんですよね。「結婚はしない」というのも4、5歳の時にすでに自覚してましたけど (^_^;) それと同様にどういう職業に就きたいという希望がなかったんですよね。
ただ、それもたったひとつ「ずーっと絵を描いていきたい」という希望というか、願望だけがしっかりありました。
ただし、それは職業としての「お絵描き」ではなくて、あくまでも好きなものを好きな時に好きに描くこと。だからイラストレーターとか画家という選択肢ではなかったのですね。
結局、絵を職業にしなかったのは正解でした。自分の絵は売りたくないし、お金に替えたくないものなんですよね。たまたま条件が合って、本当に気に入ってくださった場合のみ、お描きしたり購入していただいたりしていますが、それすらもCGでなければ無理だったと思います。アナログの1点ものだったら私は売らないです。CGですと、使用権のようなものをお譲りすることになるので、データは手元に残りますしね。それでないと嫌なんですよね。
ただし、友人とか身内とか、そういう相手にはお祝いなどで描いてプレゼントしてしまいますが。そのあたりは「気持ち」って感じですね。なにかしら基本的に金銭と交換するものではないのです、私にとっては。不思議だなあ…。
それで、この「夢を持たない生き方」ですと、「こんなはずじゃなかった」という失望もないんですよね。だって今やれることをずっと明日も明後日もやるだけのことなんで…。今日の継続の明日が未来に繋がっていくんですよね。
これもアドラー心理学だったら「いま、ここ」ということですね。遥かな未来じゃなくて、「いま、ここで出来ることをする」。そうすると遥かな未来もいつしか「いま」になっている。やりたいことをずっと続けているから「出来なかった。なれなかった」という失望もないんですね。
身体が弱い子供でしたが、だからといってその現状に失望していたわけでもないんです。なんとなく毎日、絵が描けて本が読めればそれで幸せでしたから。野望とかもなかったなあ。あんまり欲もないのかもしれません。
今、思えば両親もこういうユニークな子供に自由にさせてくれたと思いますが、生きていてくれたらそれでいい、と思っていたのかもしれません。まあ、私が初めて小児科医院に就職した時は父も喜んでくれていたのは知っていますが。ニートまっしぐらだと案じていたのかもしれませんが…。(ちなみに当時「ニート」よいう言葉は当然ありませんが)それでも私の意志に任せて黙って見守っていたあたりがありがたいです。
…あー、それにしてもいまの若い人の夢って現実的すぎてなんだかなあ… (ーー;) まだ物質文明というか経済至上主義というか、そういうものの価値観がそのままですね~。そういう夢の持ち方をすると失望に至ることが多いと思いますが…。
特別に具体的な夢を持つ必要はないのかもしれません。理想は持っていてもいいとは思いますが。私も理想はあります。個人の問題じゃなくて、もっと世界規模の理想ですが。私が生きているうちには実現しなくても、ずっと世代を越えて受け継がれていく理想だと思っています。そういう確信があればそれでいいのよ。
個人としてはとにかく「今、ここでできること」に意識を向けてコツコツ進めていくことが大事なんだろうと思います。もちろん、あくまでも自分自身の価値感で決めることだから、誰かと比較する必要もありませんしね。競争することも無用ですし。
今、できることを続けていれば、5年後、10年後に失望したりがっかりしたりすることもないのです。
「今、ここでできること、さらに楽しいこと」と思ってやっていたら、お絵描きは数十年、ブログにしたって12年ですしね。そのわりにPVもたいして増えませんが、まあ、納得してくださる方だけ読んでくださればいいかなあ、と、アフェリエイトは結構どうでもよくなってます(^_^;)
私ってやっぱり生まれながらにアドラーっぽい人間なんだと思います。理屈じゃない理解が出来てしまうのがね。「100年早い」と当時言われていたアドラー心理学ですが、日本においてはもっと遅れていたような気もします。
いまさら変わりようがないので、このまま、死ぬまで絵を描き続けるべく努力を続けていきたいと思います (^_^;) お金にもならず、名前も残さないけど、ずーっと生涯やり続けたことがあれば、死ぬ時の満足感も結構大きいと思います~(^^)