つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

大人になる痛みのある瞬間、私は生涯の友を得た

Yukiさんがコメントの中で触れてくださった本「哲学する赤ちゃん」を実際に手に取って、数十ページ読んだところで、押し寄せて、かつ溢れてくる自分自身の記憶の洪水に呑み込まれて、先に進めなくなってしまったので、ちょっと一服して、頭の中を整理する必要性に迫られました。厄介だなあ (^_^;)

 

 

詳しい内容はYukiさんが書かれています。

 

susumu-akashi.com

 

 

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 

私はやはり他の人よりも鮮明な記憶をたくさん持っているのかもしれません。それも五感の記憶ですね。3歳くらいまでの記憶も少なくないですね。

 

赤ちゃんは皆、考えようによっては大人よりもすごい能力を持っていますが、私の原点として、普通の人よりも多くのものを感受しているらしい、というのがあります。その中には自律神経過敏というのが含まれています。

 

母に聞いたところでは、私はいつごろから自家中毒などというものを起こすようになったのか?というと、1歳を過ぎる頃、1歳半ではもうはっきりと、人ごみに出ていった翌日にはもう吐いて意識がなかったそうです。「自然の中」じゃなくて「人ごみ」が問題なんですよね。単にファッションや見かけのものではなくて、多くの人の感情や感を無意識のうちに感受していたきらいがありますね。

 

これが結局、片頭痛から双極性2型障害にも至る経緯になるわけで、いまだに自律神経系統は低気圧などに勝手に反応してくれますし…。なんかしら「地球の一部である」のを体感しているような感じかもしれません (ーー;) いいのか悪いのか。

 

 

 

弟がまだ生まれる前に、母が虫垂炎で入院&手術したことがありました。私が3歳ごろかなあ、と思います。「母が入院した」という事実が当時の私には衝撃かつストレスだったのか、その夜、やっぱり自家中毒になりました。父が対応してくれたのを覚えています。それが上手かったのかどうかわかりませんが、その時の症状はあまりひどくならず、私まで入院するに至らずにすみました。…そういう刺激で過敏に反応してたんですね。

 

小学1年の時に「扁桃腺が原因かもしれない」というので、扁桃腺の手術をして、そのショックで自家中毒になって(喉を切ってるから吐くと出血するのです)、それが最後の入院でしたが、中学生になるとそれが片頭痛として表に出てくる次第… (ーー;) 片頭痛もあまりにひどくて救急車に乗ったこともありました (ーー;) (大人になってからですが、脳出血とかを心配した家族に乗せられた)

 

 


ところで、今の家に越して来た頃は、近所にもとても子供が多かったんですね。今思うと信じられませんが、当時の小学校は本当に1500人以上いたかもしれないマンモス校でした。集団登校もするし、放課後は弟も含めて、本当に近所の子達と家の前で遊ぶんですね。ゴム跳びとか、石をなげて跳ぶような遊びとか、道もまだ舗装されていなかったので、かかしを描いたり、ビー玉遊びの穴を掘るのも容易いものでした。

 

かくれんぼとか、ゲタ隠しとかもやっていたなあ…。私は精神的に幼い部分があったのか、遊びを提案しては、少し年下の子達に教えて、自分も一緒に遊んでました (^_^;)「あんたら、もうご飯やで!」と親に呼ばれるまで、勉強もしないで外で遊んでたなあ。

 

それがですね、ある時、私にとっては衝撃的、とも言える意識変化が起きる時がきました。どういえばいいのかなあ…。ある日突然に「自分はもう子供ではない」という意識が目覚めてしまったんですね。気がついた、というか。それまで、子供たちの輪の中にいたのに、いきなりそこへ入れなくなったというか、「もうあそこには戻れない」というのもはっきりわかったんです。近所の子達は誘いに来るけど、もうそこには帰れないことだけは痛いほどわかって、あの時の気持ちはもう独特のものでした。

 

小学5年生の初夏。梅雨明け間近の透明で涼しい風の吹く夕方でした。これもはっきりと五感で記憶する切ない痛みでした。

 

 


それで改めて気付きました。私の中のイマジナリー・フレンドが明確にしっかりとした形を持ってきたのはそれ以降だったということに。それまでは今のようにはっきりした形は持っていませんでした。で、彼らの存在に「大人になっていく孤独や切なさ」を癒されつつ、いっそうお絵描きを始めとする内的な創造作業に夢中になっていったみたいです。

 

外に向いていた関心が一気に内部に向っていく瞬間ってあるんだなあ、と思いました。多分それ以降を思春期だと呼んでもいいんじゃないかと思いますが。

 

普通なら子供の成長に手を貸して消えていくはずのイマジナリー・フレンドですが、私には大人になるために必要な存在だったのですね。実際に大人になってからの艱難辛苦を彼らと共に乗り越えてきていますから、果たしてくれている役割は半端なく重要です。イメージを運んでくれるのもやはり彼らですから…。生きることそのものと、創作のためと、二重に重要な存在ですね。

 

 

 

うーん、この本、とても面白いと思うんですが、途中で自分の記憶の洪水が起きるために、ちゃんとラストまで無事に辿り着けるかなあ?と不安です。ものすごい記憶に刺激をもたらしてくれる本でびっくりしています。世の中にはこういう刺激的な本があるんですね。びっくり。(でもそういう反応が起きるのは多分私だけだよね… (ーー;))

 

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