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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

ジェンダフリーな脳と想像力と妄想の暴走

雨ですが、うつですが、風邪もまだ治りませんが、とにかく放っておいても解決しないので、役所関係の用事を済ませてまいりました。

 

母の障害者関係の書類を提出して、私と弟の自立支援の方の処方薬局を一箇所追加してもらって、ふと後ろを見たら、市長選挙期日前投票をやっていたので、ついでにそれも済ませてきました。日曜日にわざわざまた行かなくてすみますし…(^_^;)

 

で、タクシーが拾いづらいので、隣の医療センターまで行って、中のコンビニでお弁当買って、病院の前で客待ちタクシーに乗って帰って来ました。

 

まだ雨が降っていて、鼻炎とうつのおかげで頭が非常にうっとおしいです。昨日のマッサージでも目のまわりが結構凝っていて、それも多少は風邪の影響かもしれないなあ、と思ったことでした。風邪でしんどいのか、うつでしんどいのかわかりません…(ーー;) やれやれですが、まあとにかく早い方がいい用事はすみました(^_^;)

 

 

 

いつも興味深い話題を大変わかりやすくかみ砕いて紹介してくださるYukiさんのサイト&ブログから。

 

yumemana.com

 

これも大変面白い話題です (^_^)

 

yumemana.com


頭の中でキャラクターが動いて、物語を織り上げていく作業、たとえば小説や漫画や脚本などを描かれる方にはものすごく納得出来ることだと思うのですが…。

 

私の脳もジェンダーフリーです。これはもう、小学校に入る頃には明白になっていました。「お話が出来ていくこと」は幼児の時からすでにありましたが、意図することなく、ほぼ勝手にキャラクターが動く、というのを認識したのが小学生の時だったのですね。鉛筆で初めて「漫画のようなもの」を描いたのもそのころです。中学生になるとそれがさらに本格化するわけですが。

 

物語を構築するのだから、キャラクターひとりでは不可能です、複数のキャラクターが出てきます、主役や友人や恋人やライバルや、明らかな悪役や敵などなど、それも意図しないでも勝手に生まれて来て、しかもきちんとした人間としての背景や過去を背負っているわけです。こういうのが意識しないで表に出てきたら、境界型人格障害になるのかもしれませんが、「キャラクター」としての存在はしぶしぶとでも作り手を尊重してくれるのですね。

 

 

 

もうそういうのとは別格で存在しているのがイマジナリー・フレンドですけれども… (^_^;)

 

私のイマジナリー・フレンドは青年や少年がメインなんですよ。少女もいますし、今メインで行動しているのは少女ですけど、思春期から大人になって、私がしっかりと自立するまでにメインで存在していたのが青年や少年でした。
それも外部に対して結構強気で押しも効くけど、そのくせナイーブな部分もあるしなあ、という複雑な性格を持っていました。でも価値感というのは私が12、3歳くらいの時から断固として核になっていて、それは彼らにも私自身にも共通するものでした。

 

ですから、時々、外界と交渉するにあたっては彼らの冷静さや押しの強さや勇気を借りることも多々ありました。もともとそういう部分も私自身の中には存在しているということですね。性別…無関係ですね (^_^;)

 

 

 

ジェンダーフリートイマジナリー・フレンドのおかげで、大抵の人と共感することも出来るのではないかと思っています。老若男女あらゆる世代のキャラクターが自分の中にもいるもので…。

 

このごろすぐに妄想が暴走する嫌いがあって、このあいだも死神にまつわる話がいくつか出来たかと思うと、「死神が美形なら、吸血鬼はもっと美形よね」という想像から、たまたま美形でない吸血鬼と盲目の人間の少女、というような話がまた勝手に生まれて来て困りました (^_^;) いくらお話が生まれても、もういまさら漫画を描く気力も体力もありません… (^_^;)

 

脳ってそれでも暴走するんだな。任せておく方が精神衛生によさそうなので、ほっぽってありますけど… (^_^;)

 

 

夢の中でも結構ジェンダーフリーですよね。さすがに大人になると自由な夢はあまり見ませんが、でも若い頃はそのまま漫画になりそうな面白い夢を結構見ました。その時も夢の中でよく男の子になっていて、今の自分の肉体ではとてもこうは身軽に思えない、非常に運動神経がある、身の軽い少年になっていたりして、動ける感覚がよくわかるのが非常に快感でした(^^)

 

空が飛べたり、木登りしたり、スポーツや武道に長けていたりとか、そういう設定で動けるのって、相当願望が入っていますよね(^_^;) でもそれでフラストレーション解消に役立つのも確かですし…。

 

想像や夢や現実や、あらゆる機会にふと顔を出す、ジェンダーフリーな自分って、実はかなり好きだったりします。私が自分のことを好きなのはそういう部分も含めて、それなりに愛おしく感じているからかもしれません。(メンタルの中で同一化していれば、外見で同一化したいとは思わないのだなあ…)

 

基本的にメンタルでどちらでもなれるから、性同一性障害のような不自由さは感じません。セクシャリティも自由だから、やっぱりこだわりはないと思います。そのかわり「これじゃないとダメ」という執着もないです。もともと恋愛体質でもないですし、あんまりいろいろなことにこだわっていないですね…。

 

どうも私の脳はそういう風にこだわりない方向に強く働いているような気がします…(^_^;)

 

 

 

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