昨日の話題となんとなくリンクするんですけど…。
たまたま素敵な記事を見つけたのでご紹介致します。
こちら。
このネームはボツになったそうですが、思えば残念です。ボツの原因はあまりにも残酷すぎるからなんでしょうか?
でも私たちは単に知らないか、もしくは目を逸らしているだけで、まだまだ世界にはとても残酷かつ残虐で非人道的な行為が毎日のように繰り返されていたりするんですよね。知らないだけ、気づかないだけで…。
その極みが規模の大きい戦争になるのでしょうか。92歳の伯父は戦争に行った世代です。衛生兵で海外に行かなかったために大きな怪我などもしないでよかったみたいです。一昨年、私が蜂窩織炎になった、と言ったら「うわー、あれなあ。崩れてくるんやで!」と言っていました。多分、伯父は戦時中にそういう病気でろくな薬も手当ても出来ず、悪化して亡くなられた兵隊さんを多く知っていたんだと思います。
幸いにも抗生物質のおかげで、わずかな跡を残すくらいで私は完治しましたが (^_^;)
同世代の父方の伯父はニューギニアのホーランジャというところで戦死しています。まだ20代前半ですね。ニューギニアあたりでは、実際の戦闘で亡くなった人は少なくて、おおかたは餓死だと言われています。おそらく8割くらいはね。想像するのも辛いですが、先に亡くなった仲間を食べて生き延びたケースもあったかもしれません。そういうことはなかなか伝えられませんが。
戦後、遺骨収集団が何度か派遣されました。でも伯父の遺骨はとうとう見つかりませんでした。
綺麗な戦争とか、残酷じゃない戦争なんてないんですよ。そういうことは、本当に戦争体験者の世代が生きているうちに、しっかり聞いて、出来ることなら記録しておいていただきたいと思います。
ちょっと話が逸れました。すみません。
現実を直視するのは辛いことですが、そこから眼を逸らしていては、その現実を乗り越えることは不可能なんですよね。しっかりと見つめる勇気を持って乗り越えていくこと、これは個人の問題だけではなくて、「国」という立場でも求められている時代だと思います。
で、この漫画のおじいちゃんはまだ子供の頃にものすごい壮絶な体験をされているんですね。これほど壮絶ではなくても、似たような経験をされた方は本当に多いと思います。自分が子供なのに、身内の大人が全部亡くなってしまって、その始末をしなければいけなくなって、その時の辛い記憶がトラウマのようになって、いまだに乗り越えられずにいる方のことも聞いたことがあります。
おじいちゃんのように「笑って話せるようになる」までには心の中でどれだけの葛藤や苦悩や、想像を絶するようなこともあったんだろうな、と思うと、「乗り越えて笑える」という人間の強さと底力に感動を覚えてしまいます。
過去の辛さを笑えるようになるっていうのは、まさしく過酷な体験を乗り越えて成長してきた人の強さですよね。そういう人と町中でふと出会えるっていうのが、いまだからこそ可能なのかもしれません。
でもなあ…。「過去の辛かったことを誰かに話せるようになった」っていうのはどういう体験でも自分の中で笑い話に出来るくらいに昇華出来たってことなんでしょうね。まだ相対している課題だと、誰かに話すとか(愚痴こぼしや相談などはともかく)リアルで生々しくて出来ませんものね。
自分を振り返って、ちょっと距離を持って、笑える話に出来るというのは、すでに心の中ではその課題を卒業できたっていう証しなのかもしれませんね。単なる「苦労話」ですと、まだ聞いてる人に退かれたり、敬遠されたりしますけど、そういうのを感じさせずに話せるっていうのはすごいことなのかもしれません。で、説得力があるんですよね。
私も黙っていると過去のことはほとんど知らされずに終わりますが、話すとやっぱりどこか笑い話っぽくなりますね (^_^;)
昨日も看護師さんに「いや、もうこんな話ばっかりで… (^_^;)」と言うと、「出来ればこれからはもっと穏やかに日々が送れるようになるといいですね (^_^;)」と言われてしまいました。まあ、貴重な(?)経験が多かったと感じているむきにはあんまり堪えていないかもしれませんが…。まあ、でも出来れば平穏、って言う方がありがたいかなあ… (^_^;)