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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「決断する」のはその人の役割なんだけど…

つれづれに思うこと アドラー心理学周辺 心について 精神疾患 介護

「馬の手綱を水辺まで引いていくことは出来る。しかし、水を飲むかどうかは馬が決める」というのがアドラー先生関連の本にあります。それは確かにその通りで、決めるのはあくまでも馬自身なんですが…。そして、それがいわゆるカウンセリングの限界というか、それ以上はうかつに手を出すべきではない点かもしれません。

 

が、私はついつい考えてしまいます。喉が渇いてるんだよね。自分で口をつける勇気が出なければ、隣にやってきた馬がおいしそうに飲み始めたら、それじゃあ、ちょっと、という勇気がでるんじゃないだろうか?…って。

 

それって「余計なお世話」なんだろうか?単なるお節介?でも、不安を解消する一端にはならないかと思うんだけど…。

 

 

…すみません。つらつらと思考を文字にしてしまいました。

 

 

 

昨日やっていた心理テストを見て、プラスがマイナスになる点があるだろうな、と自分で感じました。私自身はそれでいいんですけど、もっと自信が持てなくて、不安がいっぱいで消えない状態の人に寄り添うためには、ポジティブすぎる?

 

私自身はたぶんもとからわりとポジティブな人間で、それゆえに精神疾患や介護でも致命的にはならずに済んでいて、それは大変ありがたいなあ、と思っているんですが、他のすべての人に同様のことを要求するのは酷ですよね。たとえば介護のSNSでもともと親との仲が良くないのに、在宅で介護をしなければいけなくて、それを相当負担に感じている人がいますとね。安易に共感するどころか、自分のことをポジティブに書くことすら気を遣ってしまったりします。それで結局書けず仕舞いとか。

 

多少なりポジティブに捉えてくださる要素がある人には共感してもらえるとっかかりがあるんですが、そうじゃない人には無理かも…、と、このごろ介護関係の書き込みには足が遠ざかり気味です。

 

父の介護をしていた時も、私はそんなにネガティブなことを書いていた記憶はないんですが、その当時は介護のSNSはまだなかったか、入会していなかったから…。

 

 

 

同じ病気の人の方がまだ前向きのきっかけはつかみやすいかな?みなさん、なんとかして良くなりたい、浮上したいとよく勉強もされてますし、日常の中で共感出来ることも多いので…。みんなで考えてみましょう、という感じになりやすいのはありがたいです(^_^;)

 

でも介護の方で、本当にうつになっている人は多いですし、気苦労も多いし、なんとかならないかなあ、というのはいつも思うんですが…。でも難しいね(ーー;)

 

 

 

生きるためにはポジティブである方が楽なのは確かだと思うんです、実感として。だって、ネガティブなところから勇気は生まれてこないから。駄目元でも行っちゃうのよ、っていうのはやっぱりポジティブ指向だと思うんですよね。もしもダメでも「試してみてダメなんだからそれでいい」と落ち込まない。

 

正直、すごくもどかしく感じることはありますが…。でもそれ以上のことはその人の決断する勇気次第だから、それを尊重したいと思うんですね。

 

でも、時々、隣で「おいしいよ」って水を飲むくらいは許してもらえるかなあ?…(^_^;)

 

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