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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

歳を取ると知らないことが増えるという不思議

さて、困った。ネタがありません。無心に原稿作成をしていると、ホントになにも考えていない時も結構あるようです。実際に考えていてもなにかの形にまとまるものでもないようです。現在、読書も「カムイ伝」を再読しているくらいですし… (ーー;)

 

でも、今朝は真面目にご飯を作りました。麻婆豆腐と白菜と油揚げを炊いたもの(これも京都では「菜っ葉の炊いたん」になりますが)。昨日帰りにスーパーで買っておいた材料があったので…。

 

昔はうちの町内にスーパーというよりも個人商店が集まった「市場」が2件あって、そこには洋品店から、肉屋さんや魚屋さんやお菓子屋さんに総菜屋さん、乾物屋さんなど、普通の生活に必要なものはほぼ調達可能な環境があったんですよね。徒歩100メートル以内に。加えて、うちの裏通りは商店街でしたので、それこそ床屋さんやお寿司屋さんやクリーニング店、出前可能な中華料理屋さんとかうどん屋さんとか、また便利な環境にありました。

 

今現在、あの環境がそのままあれば私ももっとこまめにご飯を作っていると思います (ーー;) ないものは仕方がないですけど…。このあたりに住む高齢者にとってもしごく不便な環境になっております。必然として、コンビニも野菜くらいは置いてくれるようになりましたけど…。でも今日は寒いから買物には行かない (ーー;)

 

 

 

 

個人的に気持ちが焦ったおかげで、またひとつ知識が増えました。それは非常にありがたいことだと思います。あんまり役立つ機会がない方がいい知識ですけどね (^_^;)

 

長く生きていると、それに比例して知識が増えるかと思いがちですが、これが実は違うんですよね。長く生きるほどに自分はたいして多くのことを知っているわけではない、ということがわかってくるのですね。これが「無知の知」という奴でしょうね。「知らないということを知らない」うちはまだ気楽といえば気楽というか、かなり怖いもの知らずみたいにいられますけども、知識や経験が増えるほどに自分の知る範囲の狭さがわかってくるわけですね。

 

で、わかってくるとどうするか?私個人は「知らないから知りたい」タイプになります。「知らない世界のあまりの広大さ」に臆してしまって、もういいや、と思う人がいても無理はないとは思いますが…。でもそこでストップしてしまうのはあまりにも勿体ないというか、やっぱり死ぬまで何かを知りたい、というのが人間の好奇心だと思うので、やっぱりもっと先に行きたいですねえ…。

 

自分よりも年上の人から得られる経験と共にある知識も重要で面白いですし、自分よりも年下の世代の人たちがもたらしてくれる新しい情報や知識も楽しいなあ、と思います。なににどこまではまれるかは個人差でしょうけど…。相性が良さそうなものにはまってみるのもいい糸口になるのかもしれませんね (^_^;)

 

知らないものへの好奇心が読書の意欲になったり、旅のきっかけになったりします。好奇心で身を滅ぼした人もいたかもしれませんが、その人たちの貴重な経験のおかげで、現在有効な知識というのも山のように存在するわけですね。ありがたいことですね。

 

 


ネタがないと言いながら、なんとなく書けたような気がします。あえて名付けるなら「無知の知」について、というのがテーマかもね… (^_^;)

 

 

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