つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

教養ってなんだろう?とふと考えた

なんか頭が冴えてしまったので、これ書いてから寝よう。

今日はちょっとだけ仕事をしたら、あとは年賀状の宛名印刷のために住所録をなんとかしないといけません。10年以上ほったらかしにしていた宛名職人を今年は買ったもので…。書き出しと読み込みが上手くいかなければ新たに住所録を作らないといけません (ーー;) 面倒だなあ…。

今週中に年賀状を片づける、というのが当面の目標です。そうしたら画集の作業に取り掛かることが出来ますし… (^_^)
急がないから来年でいいんです。コミケの時期も避けたいし。まあ、ゆっくりやるつもりですが。




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昨日、この記事を見た時は一瞬「冗談かな?」と思いました。産経新聞ですしね。でも博物館側が対応をしたのなら、こういうものに類似した声が結構あったのかもしれません。

それはそれでいいんですけど…。


でも、こういうことって普通は一般教養の部類じゃないのかなあ??古典も日本史も、中学でも高校でも習いますよね。でも本当にこれくらいのことって教養として入っているものじゃないんでしょうか??と、ちょっと考えてしまいました。

自分が特別に多くのことを知っているわけではありません。知らないことはたくさんある、ということははっきりと自覚してはおりますが…。世界が広くなるにつれて、知らないことが多くなるのは当然かもしれません。

でもこの記事はなんというか、大人が子供の学力低下を責められないなあ、とは思いました。




中島らもさんがこういうことを書き残しておられます。

「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。


らもさんは同じ双極性障害であることもありますが、なんとなく気にかかる人ではありました。あれだけの著書もあって、それでも自分は教養がない、と思っておられたのでしょうか。実は私もらもさんの本をきちんと読んだことがないので、そのあたりのことはわかりませんが…。

退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。

 

退屈だったんでしょうかね…。アルコール依存と共存していた人でもありました。


教養とは関係なく、私には幸いにも退屈している暇がありません。それゆえになんだかいつも忙しくやることがあって、お酒を飲んでいる暇もないようです。お酒よりももっと酩酊出来るものがあるというのは大変ありがたいことでもあります。

らもさんの定義でいけば、暇の潰し方はたくさんあるわけで、退屈している暇もなかったりする次第ですね (^_^;)



一日は平等に24時間あるんですが、その時間をどう配分して過ごすかは人それぞれです。私の場合、なにが抜けてるか、というと、やっぱりテレビを見る時間かもしれません。昨日動画で見た1987年のテレビCMというのがひとつもわかりませんでした。当時ブームだったようなトレンディドラマも1本も見たことがありませんでした。主題歌とかは耳で他の場所(多分FMラジオあたり)で聴いて覚えてますが。

そのあいだ何をしていたかというと、漫画を描いてました (^_^;) 昼間は仕事に行っていたので、描くのは夜と週末ですね。私は時間がかかるタイプで(締め切りもない同人誌だし)80ページとか60ページとか描くのに1年も2年もかかってしまうんですよね。まあ、世間の流行りとは無関係のオリジナル作品なので、それでもよかったんです。

たかが漫画、ですが、まだ若かったこともあって、描くほどに画力が伸びるのが自分でもわかるんですよね。ですからすごく面白かったです。

で、働いて印刷費を貯めて、ちゃんと本を作って売りましたよ。即売会で売ってくれた友人達や、紹介してくれたファンロードなどのファンジンのおかげで売れましたけど… (^_^;) 漫画家になるつもりはさらさらなかったから、それでひと区切りでした。1993年にエッセイ&イラストの小さめの本を作っておしまいです。

やっぱり体力的な限界は感じていましたし、それでよかったんだと思います。いまもたまに描きたいエピソードが浮かぶと、こっそりと絵物語みたいに描いて、サイトで発表したりしてますけどね (^_^;) あれはやっぱり軽躁に入らないと出来ませんね。


まあ、そういうことをしていたオタクでしたので、世間で流行していたものには興味もなく、触れる時間もなく、ずっとマイペースで来ました。




あ、そうだ。教養の話です。テーマにもよりますが、小説でも漫画でもそれなりにリアリティと説得力のある話を描こうと思ったら、やはりそれなりの資料と下調べが必要です。だからその時は結構勉強したような気はします。私が描きたかったのは古代のものでしたので、そちら方面はもちろん、面白いと思うとどんどん脱線もしていくわけですが、それがよかったのかな (^_^;)

教養というよりも雑学的な知識が増えました (^_^;) さらに絵で描こうと思うと、なんでも構造が理解できないと描けません。衣服にしろ、住居にしろ、武器にしろ…。今に至るまで、装束関係が構造的な理解がないと描けないというのはそのおかげですね (^_^;)

そういうものが揃うとイマジナリー・フレンドも存分に動いてくれるわけです。退屈するわけないですね。


どういう分野でも「創作する」ことにのめり込むと、雑学的知識は増えます。そういう雑学を日常生活の中で応用して生かしていくうちにおのずとそれが教養になるのかもしれないなあ、と思いました。

少なくとも退屈する暇はありませんです。はい (^_^;)



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