つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

白手袋(2009年10月20日の日記の再掲)

看取りの日記の続きです。

私はもともとスピリチュアルなことを頭から否定しない人間ですが、まるきり信じているわけでもなくて、自分自身の直感的なフィルタを通して判断するようにしています。

 

父との死の追体験、それと「介護と看取り」という経験がそれ以前の私をどれだけ成長させてくれたか、思い返してもすごいものがあります。まさしく父が命をかけて教えてくれたのだと思っています。

 

それと貴重な人とのご縁もね。介護がなければ今の私はいない、と思うと、大変に幸福な歳月であったのだと思います。

 

(お寺とお墓のことについてはいまごろちょっと問題が起きそうな気配もありますが)

 

天国と父と、お世話になった亡き方々へ、心からの感謝と祈りを込めて…。

 

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父の死後、毎晩「眠る」というよりもほとんど「気が遠くなる」という感じで眠りに入っていますが、そのあたりで疲労感がぼちぼち表に出てきているみたいですね。

諸手続きのあれこれは、まだ書類が揃わないものもありますし、木曜日あたりが終日忙しそうです。ですので、今日はちょびっとひとやすみの心境ですが、もしかしたら急ぎのお仕事が入るかもしれない、ということもあって、気持ちは落ち着きません。

が、自分のために書き留めておきたいと思った、昨日の文章の続きです。


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以前の日記にも書きましたが、もともとのうちの菩提寺は先代のご住職が亡くなったあと、後継者争いで裁判沙汰になっています。まがりなりにも宗教なのに…とあきれ果てたわが家は、いずれの派からも離れ、基本的に無宗教になりました。いままでのお寺に所属していたお墓もありますが、いずれ2,3年のうちに無縁仏として合葬されることになると思います。

ですから、わが家でのこれからのお葬式は「自由葬」で家族のみのささやかなものにしたいと考えておりました。たまたまケアマネEさんが尼僧の免許を持たれていたこともあり、Eさんに般若心経でいいからお願いね、などと頼んでいました。

が、打ち合わせのあと、弔問にいらした親しいご近所さんから、あとで知らなかった人たちがばらばらとお参りに来られるのも大変だし…、と町内で至急回覧でお知らせすることになってしまいました。偶然にも当日大きな会場の方を借りられたなりゆきもあって、「おまけ」の規模がいつのまにか大きくなっていきます(^^;) 

「家族葬じゃなくていいなら、うちの妹たちも…」とか、そういう声が増えて、祭壇が完成する頃には参列者の予想人数がかなり増えておりました。そうなると最初Eさんにお願いしていた般若心経だけでは時間が持ちません。会場の広さでお坊さんが不在なのもなんだかおかしい、とかそういうことになって、当日急遽葬儀屋さんが知り合いのご僧侶に声をかけて、またたまたまそのお坊さんのスケジュールが空いていたために、お通夜と告別式のお勤めを引き受けていただけることになりました。

その旨、Eさんに連絡すると「わー、気持ちが軽くなりました(^^;)気楽に行きます(^.^)」というお返事(^^;) …そうかもしれません。

会場で流そうと以前から用意してあったアンディ・ウィリアムスの「Hawaiian wedding song」はあっさりとボツに…(T.T) その決定がお通夜の午後でして、まだ寝不足でぼーっとしている母と私のまわりで、いつのまにかそういう形になってしまっておりました。

納棺の時にベストのタイミングで、甥と姪と義妹が駆けつけてくれました。遠いし、勤務の都合もあるし、お参りは無理しなくていいよ、と言ってあったんですが、甥などは24時間の勤務を終えた直後に高速に乗って駆けつけて来てくれたんですね。ありがとう。しかも!私がもし来てくれるならそれだといいなあ、と思っていた消防士の制服姿でした(^.^) やー、いいねえ、かっこいいじゃないの~(^.^) 末期の水と花をしっかりとお供えしてくれました。義妹は遠慮ゆえか、式場の方で母としみじみ対面して、泣いてくれていたらしいです。ひさびさの京都なので、その夜はそれぞれこちらの友達に会って、翌日の告別式に再度来てくれるとのことで。姪は今週はすぐに勤務があるらしいです。

 

姪も頑張っています。特養ホームに勤めていますので、夜勤は2人で60人のお世話をしているとか、食事の世話で3人ほどのお年寄りの口にご飯を運んだりしているそうな…。ただまだ21歳なのに、名前を覚えてくれないお年寄りに「寮母さん」とか呼ばれるのがちょこっと微妙な心境らしいですが…(^^;) 介護福祉士の実務は合格したので、来年ペーパーテストを受けるそうです。

 

甥っ子は「おばあちゃん、学校より仕事の方がよけいにしんどいよ」と言ってましたね~。火事がそうそうあるわけではないので、レスキューもやるし、救急車にも乗っているそうで、また姪っ子の勤めるホームが同じ管轄内にあるから、救急車の要請で時々姉弟で鉢合わせするはめになりそうだと笑っていましたが…。二人ともとても逞しく、かつ優しく育ってくれて嬉しい限りです。父はこの孫たちの成人で一安心したのかもしれません。




お坊さんに初めてご挨拶したのが、お通夜の1時間前…(ーー;) 気さくなお坊さんでした。基本浄土宗でしたが、まあ宗派は別になんでもいいんですね。ただ、そのお坊さんが自分の先代の方(尼僧だったそうですが)を8年間お寺で介護したとかで、我々の気持ちをよく理解してくださる方のようでした。で、そのお坊さんが「戒名はみんなでつけてあげたいと思いますが…」と言われまして、俗名のままでいいかな、と思っていた父も戒名をいただけることになったわけですね。

母や伯父たちも含めて案を出して、私がどうしても入れて欲しい、と直感的にその場で思った「翔」の字と父の名前から「益」の文字を採って、「慈光翔益信士(じこうしょうやくしんじ)」という戒名をいただきました。「翔」の字には海外を翔て仕事をしてきたイメージや、飛行機マニアな父の憧れも含まれています。私の名前をつけてくれたのが父ですので、人生初めてのプレゼントのお礼に、人生最後の戒名をつけてあげられたのも嬉しいことでした。




その夜のお通夜、翌日の告別式ともに義理ではない本当に昔なじみの人や、ケア関係で非常にお世話になった方々がたくさん参列してくださいました。とりわけ最初の時から最期の時まで親身にお世話になり、父自身が一番信頼していた訪問看護師のAさんがひどく泣いてらして、お仕事を越えた気持ちの深さが非常にありがたく感銘を受けました。本当に感謝です。

「哀しい」とか「寂しい」という気持ちよりも、父のためにお参りしてくださった方々のお気持ちがひたすらにありがたく、両日ともに参列してくださった方々のお気持ちに感動して泣いておりました。父は本当に幸せだったんですね。

告別式では参列してくださった方々へのご挨拶を甥が見事にこなしてくれました。生徒会などで慣れているとは思っていましたが、18歳の甥のあまりの挨拶のなめらかさにまた感動したりして…。本当に立派になってくれたなあ…、と嬉し泣き。

甥と姪は翌日の勤務があるために、すぐに帰らなければならなくて、火葬場へは行けませんでしたが、出棺の時、ふと見るときちんと制帽と白手袋を身に付けた甥が、綺麗な敬礼で見送ってくれておりました。





お山にて、秋晴れの空の下、ゆっくりと流れて行く雲を眺めつつ、私はあらためて人生って美しいなあ、という感慨に浸っておりました。そしてごくごく普通の人間の「死」もまた美しいなあ、と思いました。

歴史に名前を残す人はごくごくわずかにすぎなくて、名前も残さずに生まれて生きて、死んで行った人たちの方が圧倒的に多いわけですが、実は本当に世の中を作ってきたのはその人たちで、意味もなく生まれてくる命などきっとひとつもないのですね。どんなに平凡な人の人生でも無意味なものなどひとつもないんです。

人間として一番大切なことをしっかりと残してくれた父と、その父の人生に関わりをもたれた多くの人たちに、本当に心より感謝致しております。


はるうさぎ (id:haruusagi_kyo) 6年前

 

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