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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

介護に現れる人生の総括のようなもの

昨夜は珍しくあまり眠れなくて、頭痛がします。今日は受診は無理っぽい。明日にするかなあ。以下の記事の下書きを寝る前に書いていて頭が冴えたのかもしれませんね。文章を読んでいて眠くなることも、逆に冴えることもあるけど、書く方はやっぱり冴える傾向にあるようです。仕事も入ったみたいなんで、とりあえずその下書きをアップしておきます(^_^;)

 

 

最近は在宅介護ではないせいもあって、そんなに頻繁に介護のSNSには行かないんですが、それでもたまに覗くと、結構いろいろな意外性のある話に出会ってしまいます。まあ、匿名だから打ち明けられることも少なからずあるんでしょうけど…。

 

それで最近しみじみ感じるのは「介護」というのはその家の、その家族の数十年かもっと長い期間を凝縮したものになるというか、総括したようなものにもなっているのかもしれないなあ、ということですね。

 

んー、たとえばですが…。一人っ子でシングルで頑張って働いてきた娘が母親の介護をしているんだけど、その母親がずっといままで世間体ばかり取り繕って生きてきた人で、そのせいかどうかわからないけど、介護スタッフの人たちにまで自分がなめられているというか、とにかくまともに相手にされている気がしない、とうようなケースがありました。

 

これなんか、しかるべきところで現状を打ち明けて、介護関係者を入れ替えてもらうとか、そういう方法もあると思うんですが、いかんせん、匿名のSNSなんで、そこの場所以外で意見交換が可能な場所がないんですよね。きちんと真面目に真摯な意見が言いたくても、メールでもなければ充分に伝わらないという匿名の限界がありまして、私はいままでにも介護だけじゃない他の場所でも何度も歯がゆい思いをしてきているんですが、やはりどうしようもないことがほとんどです。

 

匿名でしか悩みを打ち明けることが出来ない人は、やっぱりそれなりの対応しか得られないことが多いってわかっているだけにね。本当に歯がゆいです。勇気がないと得られないものってあるんだなあ、とつくづく思います(ーー;)

 

 

 

でも、そういうケースを知るにつれて、私はなんて多くの人に恵まれているんだろう、どれだけありがたいご縁を結ぶことが出来ているんだろう、と思うと、なんだか感動してしまうくらいです。それも親族とかじゃなくて(甥や姪は別としても)介護に携わるようになってから得たご縁ばかりです。なんのゆかりもなかった方々ばかりです。

 

それなのに介護に関わってくださるすべての方、ケアマネさんや訪問看護師さんや、入浴サービスのスタッフさん、マッサージの先生、施設のスタッフさんたち、病院の看護師さんたち、ネットを通じて相談にのってくださる方々も、母に親身になってくださるのはもちろんのこと、私にも弟にも本当に親身になってくださるのが、本当にありがたくて、嬉しいことだと思います。

 

私は本当に幸せだと思います。SNSで嘆いておられた方に分けてあげたいくらいに恵まれています。「世間体、世間体」とうるさい親のもとで生きてこられた人にはこういう幸運が巡らないとしたら、あまりにも気の毒なことだと思いました。私の価値観でいうと世間体なんて、最もつまらないものだから、その人の立場だったらとっくに家を飛び出していただろうな、というのは想像出来ますが…。それどころか親ですらバカにしていたかもしれません。(よかった、尊敬に価する親で…)

 

それだから、やはりいまの幸運は両親が自分たちの陰徳で招いたものではないかと思っています。かつてこの家に多くの人たちが集ってくれたように、生前の父も、元気な時の母も、見えない場所でたくさんの人のために心を尽くしていたんだろうな、と思います。

 

だからやっぱり人生の総括みたいになってるんだよね。生きている上でなにが最も大切なことなのか、両親はいまだに身を持って教えてくれています。これも本当にありがたいことだと思います。

 

 

 

ああ、でもそういえば私自身もいままで生きてきて「どうしようもないむき出しの悪意」には出会ったことがないかもしれません。子供のころからいじめとは縁がなかったですし…。表面的にはすごくおとなしい子だったんだけどね。(でも内面はきつい)

 

今でも、まあ時折その類のものと接近遭遇することはありますが、無駄なものはスルーしています。少なくとも自分だけが対象のものはスルーするのがもっとも無難です。まあ、見えないところで怒ってるけど。ちなみに怒るのは悪いことだとは思いません。怒るべき時にきちんと感情爆発させておかないとあとで中でこじれると怖いから。怒ってから流してしまうんだなあ…。

 

以前、ものすごく頭にきたことがあったんですが、自分一人のことじゃなかったから、必死で我慢しました。おかげでその相手に対してはいまだにどこかで静かにくすぶってますが。下手に怒りを表面に出すと火に油を注ぐことになる危険があるので、そこは注意しています。

 

まあ、そういう場合は本当にまれですし、やはり私も本当に人のご縁には恵まれているのだと感謝にたえません。

 

 


私のように持病があって、到底人並みには動けない立場になると、それだからこそ、自分がいかに多くの人の働きや気持ちや好意によって支えられているのかが、本当によく目にみえるようにわかるんですよ。

 

出来ることなら、自分自身も支える立場になりたいけど、不可能なものは仕方がないので、結局は自分の出来る範囲で出来ることをするしかないんですよね。

 

こういうふうに日々ささやかな気付きを記すことでも、もしもいつかどこかで読んでくださった方の気持ちが楽になるとか、そういうふうな働きかけになれたらいいなあ、といつも願っています。

 

11年以上、ブログを続けていますが、それってやっぱり名前が売れるとか、お金になるとか、そういうことは望んでいないからだなあ。と気がつきました。少しでも誰かの励みになったらいいな、とか介護の参考になったらいいなあ、とか、同じ病気の人のために役立つようなことがあればいいなあ、と思います。

 

だからやっぱり私はいつでも本当に書きたいことしか書けません。それでいいんだと思います(^^)

 

 

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