つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

肯定的孤独と「孤独であるためのレッスン」

まだ途中ですが、いま読んでいる本「孤独であるためのレッスン」というのがなかなか面白いです。

 

このあいだ活字が読めなくなって、かなり焦った時に読んでいた心理学の本と、同じ著者の本です。
読者対象としては20代~40代くらいの層をメインに描かれている気がしますけど…。

 

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でもこの内容的には私が個人的にいままで普通にやってきたこととなんら変わらないなあ、と思います。すでにやってた、という内容。「集団の中でうまくやること」ってそんなに大事だと思ったこともないので、今現在、そこから抜け出す勇気がなかなか持てない人のことがむしろ不思議に感じるくらいですが…。

 

でも日本人で「みんなと同じじゃない」ことに不安を感じる人って多いだろうな、と思います。民族性か??

 

「みんなと同じ」に息苦しさとか生きづらさとか、引きこもりやシングルであることに辛さを感じている人には一読をお勧めしたい内容ですね。多分そういう人のために書かれているから。


孤独が「肯定的な孤独」となるために必要な8つの条件

1、「わかりあえない人とは、わかりあえないままでいい」と認める勇気を持て。
2、人間関係についても「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
3、自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
4、「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
5、「たったひとつの人生という作品」をどう作るか、絶えず構想しながら生きよ。
6、ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
7、「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」そう思える人を見つけよ、
8、自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守るまなざし」を自分の中には育め。


以上、8つ。
誰に聞いたわけでも教わったわけでもないけれど、私は全部やってました。詳細は実際にこの本を読んでいただくとして…。

 

はあれですね。世の中のすべての人間と理解し合えるという幻想を抱かないことですね。無理にまわりに順応する無理は必要ないってことです。

 

は「仲間にはいれないと生きてけないかも…」とか「まわりに合わさないとひとりぼっちになるかも…」という思い込み。全然そういうことはありません。私なんか無駄と思えるおつきあいはばしっと切ってしまう方だから。狭い範囲の中で得られない交流はもっと広い世界で求めたらいいんです。

 

はもう、これさえあればほとんど無敵ですね。私の場合はもちろんお絵描きです。自分の核をなすものです。評価とかお金になるとかならないとか、そういうものとも関係なく、真に魂が喜びにふるえるものです。

 

もそうだな。結構子供のころから感じていました。だから仮にもしも明日死ぬとしても後悔しないように毎日を過ごしているつもりです。

 

これはおのずと決まってきます。既成の概念にあてはまらないほど作るのが面白いですね。一般的な道を歩くより、誰も知らない道を歩いてみた方が面白いに決まってます。よかったかどうかはあくまでも自分自身が決めるんだしね(^_^;)

 

自分を尊重してもらうためには、他者を尊重しなくては不公平です。また他者の生き方も自分とは違ってもおおいに参考にも励みにもなりますし…。共感能力は人として生きるために必要不可欠なものでしょう。

 

これは死者でもいいそうです。私の場合はどこまでも両親ですね。私の選択をいついかなる時でも尊重し守ってくれた両親です。

 

これはもう、自分でありながら自分を超えた存在、どこかで自分をずっと見守っていてくれるものへの意識かなあ。私は「天」だと思っています。どこの宗教にも属さない「神様」みたいなものだと思ってもいいし、「宇宙そのもの」と感じてもいいと思う。個人としての「人」を超えたまなざしですね。「天が見ているから悪いことはできない」とか感じることってあるじゃないですか。そういうものだと思います。

 


…それにしても、多くの人は自分が本当にやりたいようにやったら、社会からつまはじきされるのでは?というような心配をされるようですが、私の経験では胸を張って選択する限り、誰もなにかを言う人なんていませんでしたよ。

 

「進学しません」「結婚しません」と決めて生きていると「あんたそろそろ結婚は?」とか、そういうことを言う人は不思議なくらい現れませんでした。親しくしている方が「うちの甥っ子に」とか「うちの息子に」とか言ってくださったことはありますが、親しいだけにえらくいい評価をしてくださったんだなあ、と感謝して丁重にお断りしました。無責任な声は一切ありませんでした。

 

まあ、ひそかに親が援護射撃してくれていたかもしれませんが… (^_^;)

 

うちの両親はあの時代に大恋愛結婚しただけあって、子供にも「かくあるべし」「こうでなければいかん」ということは一切要求しませんでした。自主性まかせというか。私なんか「人としてやってはいけないこと」はわかっているからやらないし、親に叱られたこともありませんでした。

 

応援になる声はたくさんもらったな。いろいろな出会った人たちから。みんな言葉と気持ちを大事な星にして、胸の中の宇宙にしまってあります。それはすなわち希望と励みになるから、永遠に光になって輝き続けています。何十年経ってもね (^_^)

 

 

本当に人と人とのいい関係は自律した人間同士でしか成立しないのかもしれません。依存になったり、対等でなくなったり、そういうしんどい関係にはなりづらいだろうな、と思います。

 

肯定的孤独の中で思索を深めて生きていくのも、これから先の世の中では案外大切なことかもしれませんね。

 


「自分にとって何が本当に大切かがよくわかっている人は、逆に言うと、何があまり大切でないかもわかっている人です。必要なのは余分なものを捨てて、思い切りのいい人生を歩むことが出来る人です。
何が本当に大切かを知り、それ以外のものは、思い切りよく捨てることが出来る、実はこれがしあわせになるための近道のひとつです。」

 

 

モノだけじゃない、時には人間関係やしがらみの断捨離も必要だってことですね。こちらは多分私も思い切りがいいです。年期が入ってますから (^_^;)

 

「同窓会名簿に私はもう『死にました』と書いておいてください」という思い切りが出来るのって私くらいのものかもしれませんが… (^_^;)

 

 

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