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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

孤独というのは寂しいわけではない でも孤独だ

昨日の話題とリンクしています。


「病気から得るものがある」という思考というか価値観というか、視点というか、そういうものですね。

 

これって特に「プラス思考」という認識ではなくて、私にとっては「普通のこと」なんですね。だから他の人がなかなかそういう視点が持てない、と考えておられるのがむしろ不思議に思える感じでした。

 

でもそうなんだね。とりわけ苦痛の激しい病気や、精神疾患の只中におられる方々には、そう思えなくても当然だと思います。

 

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「自分は変わってる」という自覚はすでに幼稚園の時からあったし、これもまた普通だと思っていたし、不思議だとも感じませんでした。で、自分を基準にして世界を見るから、「みんな違うのが当然」だと思っていたので、これまたコンプレックスとか、そういう感情も持たなかったのですね。

 

なんだろう?こういう子供には遊ぶこと以外にはあんまり特別な関わりを持つ子がいないというか、幼稚園以来ずーっと「学校」という集団の中にいてもいじめにあうこともありませんでした。意図的に関わりを持ちたくない時は自分の気配を消せるような、そういう存在の仕方をしていた気がします。

 

まあ、表面的にはとてもおとなしくて、目立たなくて、静かでしたから、うまくやり過ごせていたこともあるのかな??

 

大人しいですが、実は怒ると怖いねん、というのもそれとなくまわりに伝わっていたかもしれません。性格というか、芯がきついところがありますしね〜(^_^;)

 

小学6年生の時に同じ年の従姉が校庭でクラスの男子と取っ組み合いしているのを見て、「私はあそこまではやらないかなあ」と思っていたことを思い出しました(^_^;) 相手が男子だろうと気持ちの上では全然負けていないわけですね。「大人しい子」はペルソナみたいなものだったのかもしれませんね。まあ、正義感は強かったです。今もそのままですね(^_^;)

 

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病気ばかりしていた生い立ちと、そういう性格の強さゆえに「みんなと同じ」はとことん嫌だったな。

 

それだから、こういう人間になったのかな? 「こうすれば上手くいきますよ」といわれるようなことでも、あっさりとそのまま真似するのは嫌だもん。人の真似はすぐに飽きるし。どこまでも自分で見つけていくのが性に合ってるんだと思います。

 

 

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自分以外の人も「こういうふうに感じられたら、こういう視点で見ることができたら楽だろうにな…」としばしば思うんですが、やはりこれも強要してもダメなんでしょうね。その人が自分で見つけて気づいて考えて選んでいく道でないと…。はたから見ていると、ついついもどかしく感じてしまうので、余計なことをしそうになって思いとどまるパターンが最近多いです。

 

だから双極性障害の人の掲示板にも顔を出さなくなりました。見るのは見てるんですが、口は出さない。なにを言ってもタイミング的に伝わらない時は伝わらないので…。むしろ逆の影響を与えかねない危険もありますし。

 

自分が最善と思っていても、他人にとっては必ずしも最善とは限らない。楽になれる方法は多分みんな違うんですね。そのことはどうしようもありません。すごく残念だけど。

 

言葉は誤解を生む心配もあるし。適切なタイミングで波長のあう人に上手く伝わって欲しいと祈るばかりです。

 

今日は完全に自戒のための内容です。

 

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絵はいいよな。少なくとも文章ほどには人を傷つける武器にはなりがたいから。そういう道具としての意義もあるんだな。引き続き頑張って描きたいと思います。

 

 

 

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