つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

気がついたらパニック障害を克服していた話 その2

続く、にしたから頑張って続けないとなあ…。「ココナラ」の仕事をひとつ片付けたので、気分転換に (^_^;)

 

 

パニック障害」っていうのは「障害」という名前であってもホントに障害認定されないのは、治りやすい病気だってことですよね。まあ、いささかの時間はかかっても。私も治るまでに30年くらいかかりました。

 

弟はまだそこまでに至りません。初期の段階でこじらせた経過があって、初期治療の素早さと的確さは本当に大事だなあ、と思っております。

 

 

高校生の夏以降、そうですね、20代の前半ごろはかなりガタガタの時代でしたね。

 

とにかく高の夏休みが終わっても全体的な体調は良くなくて、学校もほとんど休みがちになって、ゴロゴロ悶々と日々を過ごしておりました。血液検査の結果、アミラーゼの値がひどく高い。要するに慢性膵炎と見られる、という診断が出てしまいました。

 

入院が必要だと思うので、当時まだ小さいけれども入院設備があったかかりつけの先生の病院を勧められました。が、母は「家でなんとかします」と断り、まあ、幸いにも近所だったこともあって、通院しながら食事療法の毎日になったわけですね。

 

実際に痛みは急性よりひどくないものの、食後の重苦しさは、だるさはやっぱりひどくて、嫌でも横にならざるを得ない状態の毎日です。

 

パニック発作の方は、ひどいものは起きないけれど、やはり衝撃的な経験だったので、ずっと不安が消えずにありました。

 

それでも在学中は、「出席日数」という課題があります。幸いにも私は長期欠席しても成績は問題にならなかったので、その出席日数だけが問題でした。「机の上で寝ていてもいいから出てこい」と言われて、病院で点滴を受けてから、タクシーできわどい科目だけ受けるために学校に走ったりもしていました。

 

なにしろ体調自体が悪いわけだから、いつパニックが起きても不思議ではありません。実はこのころのことはあんまり記憶にないのです。が、1人で出掛けるのが不安、と思っていたから、すでに何度もパニック発作は起きていたと思います。

 

当時の私はあんまり生きている実感がなくて、魂か幽体か精神か、なにかわかりませんが、肉体を置き去りにして意識だけが身体の上、数メートルの高さのところにあるなあ、と感じていました。特に歩いている最中とか、歩いている実感がなかったんですよね。空中を漂っている感じ。食べてお腹が苦しい時だけ戻っているみたいな。

 

ああいうのが俗に言う離人症なのかな?とも思ったんですが、そうでもないみたいです。でもなんか不思議な感じでした。

 


まあ、そんなだから進学とか考える状態になく、特にやりたい学問もなく、療養しながら、せめて手に職を付けたいと洋裁を習いに行っていましたが。徒歩で通える距離だったので、緊張はしたけれど、発作が起きることはなかったと思います。

 

ちょうど膵炎のための食餌療法をするついでに、と言って、ダイエットを始めたのもこのころですね。もともと脂肪分と糖分の制限をしていたため、他の栄養のバランスを考えて一日1600kcalにして、さらについでに裏庭(が当時はあった)で縄跳びをしてました。

 

これが結構効果があって、(若いしね)高2の時に65キロくらいだったのが、徐々に落ちて、23歳くらいの時には40キロ台後半になっていました。それ以上落とすと顔がとがってみっともないのと、腰骨が当たって痛いのとで、そこでストップして、以後15年維持していましたが。ただし貧血はしました。慌てて治しましたけど。

 

 

で、洋裁を数年続けてから、就職したくて、医療事務の勉強をして。病院関係の仕事なら、発作が起きてもなんとかなるだろう、ということがしっかり頭にあったんですね。で、小児科医院に勤めましたが、もくろみは上手くいって、勤務中はパニックのことを考えずに済んでいました。

 

お能などに通っていたのもこのころですね。映画と違って、能舞台はパニックの原因になるようなものはないので、リラックスして見ることが出来て好きでした。贅沢だけどタクシーだったな。行きはタクシーで帰りはバストか電車、という感じ。

 

 


パニック発作も強弱が双極性2型のように波の形の変化を続けていました。

 

遠くまで通勤する自信はない。なるべく交通機関は避けたいとのことで、私が勤務する場所は大抵自転車で通える範囲にありました。もっとも発作が起きづらい乗り物ですね (^_^;)

 

そうこうするうちに弟が結婚したいということで、結納やら顔合わせやらで新幹線にも乗りましたが、これは家族ぐるみの移動なので、さすがに緊張もましですね。

 

 


それでもパニックが一番ひどかった時は、家の近くの国道の信号も渡れませんでした。渡れば大きめの本屋さんがあるし、そこに行きたいのに行けない。とにかく信号の側に来ると足が動かなくなるんです。動悸がひどくて、渡ったら最後、引き返せないようになる感じで…。

 

それから家に居ても発作が起きるようになりました。これはさすがにどうしたらいいのかわかりませんでした。一番落ち着けるはずの家にいるのに…。

 

パニック発作で一番辛かった時かもしれません。が、実はそのもっともひどい最中にひとつの「気付き」が訪れたのですね。

 

 

  (すみません。まだ続きます)

 

 

 

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