つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

すぐに見つかる人生の答えなんかない

今日はクリニックの受診日です。

 

昨夜、やっと名刺のお仕事も終わりまして、その後、「ココナラ」の窓口は閉めてしまうよりも価格設定を変えた方がいい、というアドバイスをいただいたので、ブログのヘッダ意外の窓口は1000円に変更しました。お絵描きの仕事が終わればまた500円にもどす可能性もなきにしもあらずですが…。どうかなあ…? (ーー;)

 

描きかけの線画の方も昨夜にやっと完成しましたが、これは一旦中止にして、ご依頼いただいたイラストの方を優先して描きたいと思います。

 

キャラもおおまかなシーンもご指定いただいているので、楽といえば楽ですが、ただ、平安時代の高貴な女性の立ち姿だと、どうしても室内設定でないと駄目っぽい感じですよね。せめて御簾越しの柔らかい光の中で…、という感じかなあ?…と、只今あれこれと妄想中です。猫とかいたら女三宮みたいなシーンになりそうだし…。やはり花が届くのかなあ?…とか、そういう想像は楽しいですね。うん、結構楽しく描けそうだと思います (^_^;)

 

願わくばその途中で、母の特養入所とかのごたごたになるべくぶつかりませんように… (^_^;) それでいながら、梅雨入り前までに部屋のリフォームが終わるくらいの日程だといいなあ、と願っていたり。

 

自分で決めればいいことと違って、いろいろ多くの人が関わることは予想がつかないだけに困りますね。どなたか亡くなる方がいらっしゃらないと部屋って空かないと思うし… (ーー;) そういう世界なんだよね…。

 

 

 

このあいだ、ネットのどこかで江川紹子さんのインタビューなんかを見かけて、そこで印象に残ったことがありました。オウム事件の当時、信者になっていた人たちはエリートと呼ばれる人たちがすごく多かったですよね。そういう人たちに江川さんは「どうして麻原に惹かれたのか?」と尋ねたら、「彼はなんでもすぐに答えをくれたから」という返事があったそうです。

 

それって怖いなあ、と私はやはり思ってしまった。数式とか、時間をかければ解ける問題じゃなくて、人生のほとんどのことって、すぐに答えなんか得られるものって存在しませんよね。どうかすると生涯を費やしても答えが出ないままだったりするし…。私なんかそれで当たり前だって思っているし、「わからないけど、でも一緒に考えましょう」という人なら信頼したくなります。

 

でも「これが正しいのだ」と断言出来てしまう人ってやっぱり怖いと思うな。自分が間違えるはずはないと思っているから、他者の違う意見を受け入れることが出来ずに、強引に従わせようとしてしまう…。そういう行為の一つがテロだとしても不思議じゃないなあ、と思います。

 

 

 

20年経っても、基本的にはあれと大差ないような「正しさのようなもの」がやっぱりテロに近い行動に走ったりしてますものね…。人間って本当に進化するのは容易じゃないようです。

 

瞑想だったか座禅だったか、そういうふうな修業の中で、「仏に会ったら仏を疑え」って言いますよね。それはとても大切だと思います。

 

自分自身でしっかりと考えること、性急に答えを求めすぎないこと。広い視野で判断すること。これから先の未来にはそういうことがますます大切になってくるかもしれません。

 

「私は間違えない」という人物を信用してはいけません。危機回避の第一歩だという気がします。