お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

私って可哀想じゃない人なんです (^_^;)

訪問入浴の日ですが、母よりも私の方がしんどいと感じているので、お休みにしてもらいました。どのみち、もうじき解放されますが、それまで特に問題がなければ隔週でもいいかなあ、と思ったり…(ーー;) お風呂の休みの原因は半分近く私かもしれません。まあ、もともと母もお風呂好きじゃないんですけどね…。

 

LINEのスタンプ(sticker)の売り上げというか、配当金がやっと5000円を越えたので、振り込み申請をしてきました。売り上げの半分はLINEのものになり、そこからまだ税金や手数料を引かれると5000円にも足りません。

 

ひとつ74円(かな?)で購入してくださる方が多いので、すごくおおざっぱに計算して、だいたい百数十人くらいのかたが使ってくださっているのかな?という感じです。
実際に使ってくださっている方々のことを想像するとちょっと嬉しいですが、第二弾を作るか否かというと、やっぱり決心が出来ませんね。

 

LINEのスタンプ(sticker)ってそろそろ飽和状態に達したりしないのかな?という気もしますしね。この程度なら無料でGoogleのメッセージスタンプに提供する方がましかもしれない、と思い始めました。

 

第二弾はもう作らないかもしれません (ーー;) キャラクターは可愛いんですが、また40個も描くのは大変だし。

 

来月はサイトの開設記念日が来るので、ちゃんとした作品も描けたらいいなあ、とも思いますしね。理想は結構あるんですけどね… (^_^;) 体力と気力のなさがひたすらにもどかしいです。

 


考えてみたら、私は子供の頃から身体が弱かったし、体育なんてほとんど1か2の成績しか取れなかったし、冷静に考えてもよくそれでコンプレックスを抱かなかったなあ、と思うんですが…。んー…。振り返っても思い出しても、まあ、それなりに劣等感に近いものはあったんだけど、それと同時に「私は私だから」と妙に悟ったような、子供らしくないところもありました。

 

自分は可哀想、とか思ったこともないかもしれません。母のたんすから着物を引っ張り出して羽織って引きずって「お姫さまごっこ」とか1人遊びをしていました。それとお絵描きとかで相当昇華されていて残らなかった気がします。

 

小学校低学年の頃は男女混合の4、5人のグループで遊ぶのが普通だったしなあ…。そのあたりはわりと居心地よかったんですね。性別に分けられなくて。誰とでも自然に遊べた頃。

 

しばしば入院していたとか、いろいろあったんだけど、意外にもそれらが辛い記憶として残っていないのです。私って基本的には前向きな人間なのかもしれません。外見はもうすごい大人しい目立たない子でした。

 

友達がいなければいないで、ひとりでいつまでも遊べたし、図書室にも入り浸っていたし。あの頃にはまだ目立つようないじめはなかったかもしれません。中学生になると、それがやや表面化する傾向はありましたが。自分がいたグループで、いじめの対象になりやすい子をかばってたな。気を配っていればそれ以上ひどいことにならずにすんでいたみたいです。

 

中学生ともなれば、色恋沙汰には疎かった私を置いて、いつのまにかまわりでそういう類の話が飛び交っていたり。某スポーツ部の「H先輩がおまえのこと好きだって言ってたぞ」とか、同じ部のクラスの男の子に聞いたりとか。でもその話のご本人は全然なにも伝えてこないし。まあ、そういう微妙なお年頃でしたしね。ワルじゃないけど、むしろリーダー的な存在として力が(多分人気も)あったのかな?H先輩は。そのおかげかどうか、中学時代は余計な心配もなく安心して過ごせましたが (^_^;)

 

それにつけてもあのもやもやとした間接的な好意ってなんだったのかなあ?? (^_^;) 今の私ならためらうことなく本人を掴まえて聞き出しているところですが。そのあたりは大人しく内気でした。

 

なんというか、もろもろ思い出しても私は悲劇に陥るタイプじゃないですね (^_^;) 悲劇のヒロイン願望とかはまったく無縁で、「私ってかわいそう」とか思ったこともなかったですね。

 

そんなに能天気じゃないと思うんですが、自分を奮い立たせるのが性に合っていたのかな?と思います。
泣いてる暇があったら絵でも描こうか、みたいな。

 

物語に投影しているうちに、自分自身喜怒哀楽が架空の世界に反映して、その世界を大切にしているうちに「表現すること」で、自分自身を冷静に見つめる距離感が生まれ、分析する癖がつき、そのころから当事者研究をしているような習慣と創作が自然に重なっていたようです。

 

子供のころから気付いていました。どんなに感情の波が荒れ狂っていても、底の方の一点で不思議に醒めている自分がいることに。孤独ではあるけれど、そういう部分がある自分のことが好きでした。

 

おかげでしばしば悩んでいた「自己嫌悪」というヤツとは10代で卒業出来ました。悩んでいた最中は卒業出来る日が来るなんて思いもよりませんでしたが、意外にそういう時って来るもんですね。

 

マイナスの感情は味わってから手放す機会が来るんだなあ。いままで生きてきて手に入れた大事な実感です (^_^)

 

 

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