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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「〈弱さ〉のちから」

今日は終日母にあれこれと邪魔されて、ほとんどまとまったことが出来ませんでした。敗北感… illi..orz..illi

 

鷲田清一さんの「〈弱さ〉のちから」という本がいろいろと考えさせてくれたので、メモ的に記しておきます。

 

 

社会全体から見たら、相対的に弱い立場に置かれているさまざまな人のケースを取材して書かれた本ですが、やはり私は自分自身と関係が深い、精神障害者の人たちと、介護関係の記述により惹かれました。 なかでも有名な「べてるの家」の記事から。 向谷地生良さんの著書からの引用の文章です。長くてすみません。

 

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ソーシャルワーカーをめざす福祉の学生が『べてるの家』に見学に来て、『こんなに日常的に生き方を議論しあっている大人を見たことがない』と言ったことがあるんですね。私は、逆に『どう生きるか』をいつも眼に見える形で突き詰めないと生きられない人たちがいわゆる精神障害者であり『べてるの家』の人たちだと思っています。つまり、どう生きるかということを青春時代のエピソードとして終わらせることなく、過剰なまでに抱え込んできた人たちなんですね。ふだんは多くの人たちが心の奥底で人知れず悩むことを、私たちは『べてるの家』で昆布やおむつという商売をしながら、正面切って語り合ってきたわけです。それをずっとし続けてきたら、地域の人たちが少しずつ『こう見えても実は私もね』という形で、語りはじめた。精神障害者ということで病院のカルテのある人たちよりも、カルテのない人たちの悩みの方が深刻ということさえ起こって来たんですね。…私たちが普段の暮らしのなかで忘れてきた、見ないようにしてきた大事なものを、精神障害という病気を通して、教えてくれている人たちなんだね。あの人たちは嘘を言ったりとか無理をしたりとか、人と競ったりとか、自分以外のものになろうとしたときに、病気というスイッチがちゃんと入る人たちだよね。…『私たちの隣に、そういう脆さを持った人たちが居てくれることの大切さを考えたときに、とっても大事な存在だよね。社会にとっても大事なことだよね』。そういう思いが、いま静かに地域に満ちて来ているような気がします。

 

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向谷地さんは当然のことながら、地元浦河の住民の人たちの受け入れ方がすごいなあ、と思います。いつぞやの「子供のために良くないから、近所に精神障害者が住むのは反対」と言った女医さんとはものすごい違いではありますね。

 

なにが本当に弱き存在なのか、まあ、この場合は社会的、経済的、肉体的弱者としておいていいのかな、と思いますが。 この本の帯に「ケア関係の本質に迫る臨床哲学のこころみ」とあって、そこではじめて、ああこういうのも哲学っていう範疇に入るんだなあ、と思いました。柔らかい内容の本です。思考のきっかけはいっぱいありますけど。読んでみれば、実は弱さを持つのは自分自身でもある、ということに改めて思い当たるのかもしれません。

 

 

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