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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「絵を描くこと」と世界観とか

今日は10時から母の入浴サービスなので、それまでに買い物に行かなくてはなりません。今日は逃げ場がないので非常に気が重いです (ーー;) でも2回抜けてるから予防接種の前に入れてもらわないとね、と思っています。 自分が入浴するのはさほどしんどく思わないのに、なんで訪問入浴は駄目なんだろうか?父の時からですしね… (ーー;)

 

昨夜ぼんやり考えていました。 私は写真や写実的な絵画を見るのは大好きだし、スーパーリアリズムな表現にも感動するんですが、それが描くほうになると全然違うんですよね。それってどうしてだろう?と考えていました。

 

普通幼い子供は「写生」が出来ないそうです。一旦自分の中で世界をとらえてから形にするので、モノの位置がばらばらだったり、ありえない形になったりして、非常にユニークな作品が出来ます。でも子供にはそれが自然なんですよね。

 

ところで私は小学生になっても、その「目の前にあるものを正確に描く」というのはえらく苦手でした。静物画もそうですし、風景の写生もそうです。描けないというよりも先に「描く気にならない」のですね。

 

それでいて好きで描くのは自分の内なるファンタジーです。荒唐無稽な世界じゃないけれど、一旦自分のフィルターを通して残った世界を構築していく作業が非常に楽しかったわけです。

 

図画の授業で、クラスメイトと向かい合わせで、「お互いの顔を描きましょう」という課題が年に一度くらいありますが、私はあれもすごく苦手でした。なぜかというと、私が描く絵は実際のモデルよりも「良くなりすぎる」からです。実際よりひどいよ、と責められるのならともかく、実際よりかわいかったり、かっこよかったりして責められるのはおかしいようですが、小学生は辛辣です。「○○さんはこんなに美人じゃない」(←失礼だな、おい)とか、「○○くんはこんなにかっこよくないよ」とかいつもまわりでやいやい言われるので、それがいつのまにかトラウマになってしまった気がします (ーー;)

 

私はちゃんと見て描いているつもりなのに、無意識でなんらかのフィルターがかかっているとしか思えません。眼に原因があるのか、脳に原因があるのかはわかりませんが。

 

結局、いまだに「実在の人物に似せて描く」とか「リアルに写生する」というのは苦手なんですね。どういう素材でも一旦自分の中のフィルターを通さないと再現出来ないようで、それをやると、もう「写実」とは離れてしまうのです。

 

昨日、ぼーっとブログのカスタマイズをしていて、ふと気がつきました。 このブログを「カスタマイズしないと気が済まない」というあたりと、写実が苦手なことに共通点がありそうな気がする、というのに。

 

カスタマイズ、ある程度の規制の中で独自性を持たせる作業というのは結局「デザイン」なんだと思います。 自分のフィルターを通した世界をアレンジする過程には、この「デザイン」の部分が結構関わっているような気がします。着色にしても構図にしても無意識のうちに考えてアレンジして描いてますしね。お絵描きなんだけど、デザイン的な要素が強いかもしれません。

 

もっとも、好きに描くからといって、やはり基本的なデッサン力は必要不可欠なので、私はそれをA・ルーミス氏の本などで学びました。例によって独学ですが。骨格や筋肉の異本的なことは理解出来ていると思います。

 

 

いつも平安装束などを描く時にはヌードデッサンはしませんが、この基礎が入っていないと非常にわやわやなことになるんだろうな、という想像はつきます。そういう時は頭のなかだけでヌードデッサンしてるんですね。

 

絵を描く人の中でも写実的なものを得意とされている方と、そうじゃない自分のフィルターを通した作風を得意とされる方と両方がいらっしゃると思うんですが、両方が得意、もしくは好き、という人はあまりいらっしゃらない気がするんですね。非常に興味深く面白いことだと私は思っています (^_^;)

 

それはその人の世界との関わり方によるものなのか、もっと単純に脳の構造によるものなのか? 人間だけが唯一好んで「絵を描く動物」です。どうしてそうなったのか?…私にはとても興味深いのですが… (^_^;)

 

 

 

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