つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

双極性2型障害になってよかったと思う

夜になると、まだネズミが走っています。なんだと思っているのかわかりませんが、結構頭に来ます。母が無事に特養に入所出来たら、私も多少は気持の余裕が出来るかもしれません。そうしたら猫を飼いたいなあ、と真面目に考えています (^_^;)

 

昨夜は真夜中に右膝の痛みで目が覚めました。横向きに寝ていたのに痛いという… (ーー;) ここ半年近く、ずっと怪我をしたあとに蜂窩織炎(ほうかしきえん)になった左足をかばって動いていたので、いろいろと無理が来てるかなあ、という気はします。 整形外科で看てもらったらまた通院が長引きそうだしどうしたものか… (ーー;) 

 

でも昔母が変形性関節炎になって、一歩も歩けなくなったのを知っているからなあ。母の左足は今も変形したままです。 週末だから、もう少し様子を見て、その後の対応を考えようと思います。

 

今日100円ショップに行ったんですが、荷物を持って店舗のある階段を下りるのが怖かったです (ーー;) がくっと来たらどうしようかと思いました。痛いしさ。足の悪い人には階段は下りる方が辛いんだって身をもって実感しました。

 

なんだかまあ、色々と、本当に色々と毎日のようにありますが、私も自分の現状を不幸だとも思わないし(そもそもいままでの人生が不幸だとも思っていませんが)この双極性2型障害という病気になったことも結果的によかったなあ、とも思っています。 普通に平穏に生きていたら、これくらいの期間で、これだけの人生の学びは得られなかっただろうし、他者への共感もさらに強くなったし、この病気のメカニズムと対応方法を自分なりに見つけることが出来たからですね。

 

実感として、やはりこの病気は脳の誤作動なんですね。本当に精神というか、マインドというか、魂というか、そういう最も本質的なものは脳そのものとはちょっと違う場所にある気がします。 それを常に意識していれば、脳が誤作動を起こしても、いくらか冷静になれるし、その誤作動に一喜一憂して揺さぶられる度合いもましになるし、希死念慮がってもむやみにそれに引きずられなくて済むようになるんですね。

 

もとよりコントロール出来ないものではありますが、ちょっと距離を置いて見て、冷静になれるというのはすごく有意義です。 もちろん、身体的、社会的には相当不自由ではありますが、精神的にはむしろかなり自由になった気がします。他人の価値観に左右される馬鹿馬鹿しさとか、自分の本質とか社会の本質とか、そういうものが見えてくるし。無駄な抵抗で足掻くのはやめてもいいんだ、っていうところも見えてくるし。

 

一般的な人たちが死の直前にやっと理解出来ることや、残念ながら理解出来ないまま亡くなってしまう真理のようなものにも気が付いたり出来ているし。 ものすごく深い体験ですね。

 

挫折や失敗をしないで、あまりにも順調に人生を過ごしてきた人には達することが出来ない境地かもしれません。 もともとスピリチュアルな解釈では、病気や障害を持って生まれてきた魂は、一気に多くの学びを得て成長しようとする果敢な魂だと聞きます。そういう考え方にはまた勇気づけられるものがありますね。