つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

自分のセルフイメージに忠実に

今朝、あちこちで同窓会の話題を眼にした。 同窓会については以前にも書いたことがあるが、そもそもなにが目的で、なんのために開催されるのか私にはわからない。 特別に会いたい人もいない。…というか、卒業してからも続く友情なら、別に同窓会という場がなくても続いているものでしょうし。

 

それじゃあ、みんななにしに行くんだろうか?いまでも不思議で仕様がない。 私自身は例の「哲学的会話が出来る相手」を見つけることができなかったので、それで学校時代の友人関係にはなにも期待しなくなったからなあ…。

 

それで頻繁に来る案内に閉口して「もう私は死んだことにして欲しい。以後の案内は一切不要です」と、小中高すべての役員(幹事)の人たちに連絡したので、以後、同窓会関連の通知に煩わされなくなってせいせいしている。

 

他の人たちはどういう目的で参加するのかなあ?…わからない、私には理解出来ない理由かもしれない。 よく「勝ち組の人たちはそれを自慢したくて行く。負け組は行きたくない」とも聞くけれど、その「勝ち組、負け組」の価値判断というか価値基準が自分にはないから…。 世間で理想と言われたエリート出世コースなどにはまったく見向きもしなかった自分だし。

 

魅力を感じないものでもあって、まったく別の価値観で生きてきたから…。それでいながら、ほぼセルフイメージ通りになりたかった自分になっている、という気がしている。

 

要するに美醜とかスタイルとか学歴とか経済力とか、そういうものになぜかまったく魅力を感じることなく、従ってそういうものに執着も関心も持たなかった。 「自分がなりたい自分」に近く生きていると、苦労は多いけど、不幸だとは思わなくなる。

 

このごろの私のモットーは「やらないで後悔するより、やってから後悔しよう」なんだけど、やってしまうとまず後悔はしないものだしね (^_^;)

 

環境的には、あるいは生活は相当不自由ではありますが、少なくとも心は不自由ではないなあ。不幸でもない。 既成の価値観に捕らわれることなく、自分の価値観で生きる、というのは楽しいことであります。

 

これをやっていると不思議に誰のどういう状況を見てもつまらないコンプレックスを持たなくなる。自分は自分らしく生きていることに対しての誇りがあるからかもしれない。

 

今日はこれから整形外科へ。以後、ヘルパーさんと打ち合わせ。午後は看護師さんが来られる予定です。 友人に手紙を書く暇があるだろうか?ぼちぼち頑張ります (^_^;)