つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

厄年だからちょっと休んでもいいかな?

さて、今日はやっと整形外科に行ってきました。月曜日に行ったのかな?それ以来です。別の医院の検査表も見せましたが、やはり診断は蜂窩織炎(ほうかしきえん)、もしくは血管性の病気(病名忘れました)だろうとのことです。

 

抗生剤を飲みつつ、様子を見ながら対処する感じで。 足を上に上げてなるべく安静にすることと、あまり表も出歩かない方がいいと言われましたので、少しでも休もうと思うならどうしたらいいか?と、ケアマネさんにメールしたので、そのうち来てくださると思います。 お金と手間をかけないように、というとヘルパーさんに入ってもらうことかなあ、と思ったり…。

 

このごろの母は食事をして1時間もしないうちにまた欲しがるんですね。食べたことを忘れるのか、食が細いからすぐにお腹がすくのかわかりませんが…。まあ、規定の時間以外はほっときますが。これに全部つきあったら私はなんにも出来ません (ーー;)

 

まー、しかし、ホントに個人的に今年は厄年だと思います。次から次へといろいろあるなあ、と。 そのわりに落ち込んでいないのが自分でも不思議ですが。もしかしたら私は自分が思う以上に能天気な人間かもしれません。その証拠に悩んで眠れないというのがほとんどありませんし…。考えても仕方がないし、煮詰まったらとにかく寝るか、リセットしよう(脳を)といつも考えているんですね。入眠剤も不要です。 だから最近不眠では悩まないなあ。

 

動悸が強い時は眠り辛いので、その時は救心飲みますが。

 

そういえば私は社寺に参拝しても願い事をしたりすることってほとんどないなあ、と気が付きました。地元だったら「いつも(守ってくださって)ありがとうございます」とお礼をいうくらいで。他の場合は神前に向かうと本当に無心になってしまって、願い事なんか忘れます。

 

どこかのサイトに「無心になってお願いする」とかあって、思わず笑ったんですが、無心だと願い事も忘れるのが正直なところじゃないかと思います (^_^;)

 

願い事がない、というのは個人的な願い事で、そもそも自分は神様に頼まなければいけないような困りごともないんじゃないかと思います。「悲劇のヒロイン願望」がないんだな。自分が不幸だとか感じたことないですし。だからもっと状態を改善して、とかは願っていないですね。そのうちなんとかなるだろうな、というのが正直な気持です。

 

人の手が及ばぬスケールの大きな祈りはしばしばあります。が、それは特別に社寺にはいかなくても、PCの前で祈っています。祈りと願い事はどう違うんだろう?…やっぱり違いますよね。祈りの方が無私に近い気がします。

 

落ち込まない、というのはいいことなんですが、ただ、私の場合、心身の疲労感は人一倍強いです。双極性2型障害のせいもあるかもしれませんが、疲労がたまりたまって辛くなると、休みたい、もう永遠にでもいいから…とか思ってしまうので、「死」というのは私には「安息」みたいですね。 で、安息だからこれまた恐怖心がないんだよね…。

 

自分から死を選ぶことはほぼ考えられませんが、寿命が尽きて「お迎えです」という時がきたら嬉々として行っちゃいそうです (^_^;)

 

あ、そうだ。いつのまにかパニック障害と縁が切れたのも、この「死への恐怖」というやつから解放されたからではないかしら?なんとなくそういう気がします。