つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

二度とあんな思いはしたくない!

今日の整形外科はいつもよりは空いてる感じ。膝の傷跡がいまだに痛くて膝をつけないというと、「塗る湿布薬」のようなものをいただきました。 普通、膝はつるつるしている感じなのに、長く膝をつかない状態だと、傷口のまわりに毛が生えるんだなあ、と妙な感心をしています。左膝は膝をつく時の軸になるので、私にはそれだけ不便なわけですね (^_^;) で、待合室では母と同じくらいの世代、70台後半から80台前半あたりの人たちの話を聞いておりました。もろに戦争体験がある世代ですね。安倍政権自民党批判が主な世代です。「自分たちが二度と戦争中のような思いをしたくないのはもちろん、子供や孫にもそういう思いはさせたくない!」という切実な声です。 そうだろうな、と思う。戦争体験者で二度と嫌だと思う人はごく普通だと思います。そういう声、なんで聞こえないかな?また逆に若い世代は自分が行くのは嫌だという思いが強くて反対するんだろうと思います。 デモなどで元気なのもそのふたつの世代だと聞きます。我々の中間世代っていうのは一体なにをしてるんだろうね?ちょっと…いや、我が身を省みて、相当考えないといけないと思います。特に私らの世代は親の世代の体験のみならず、祖父母の世代のことも聞いて知っているわけですから。 戦争中、小学生の母は叔父と祖母と一緒に石川県の能登半島に縁故疎開をしていました。借りた家が大きな旧家で、怖くて仏間に入れなかったとか、早朝に祖母が地引き網を引くのを手伝って、イワシをいっぱいもらってくる。でもご飯もないし、イワシだけの食事というのも辛かったそうです。 日本海で毎日のように機雷が爆発する。それもあって平常時とはとても思えないし、どうせ死ぬのなら祖父と一緒に死ぬ方がいい、と思って京都に帰ってきたそうです。それから1,2ヶ月のうちに終戦。大人たちは一様にほっとしたんだと思います。 中学生だった父は学徒動員で働いていました。一日働いてもわずかな食べ物しかもらえず。 今の家の近辺、当時は練兵場でした。真夏に行軍している兵隊さんが熱中症で倒れるのを毎度家に運んで解放して…というのを祖父母はやっていました。 きっとみんな「二度とこんな思いはしたくない!」と強く思っていた筈です。 だからこそ頑張って戦後成長期の日本を支えてきたんじゃないか、と思います。経済的な力を伸ばすのが、一番じゃないかと思ったんじゃないかな。 私が子供の頃、父は日曜日以外は全出勤で(当時はどこもそうでしたが)貴重な日曜日の休みも、回り持ちの日直でパーになっていました。 町工場の技術が大企業の技術の各になっていたことも山ほどあると思うよ。 そういう本当にコツコツとした努力の積み重ねで大切に守ってきたものを、なにか勘違いした人間達に意見も聞かずにあまりにも容易く覆されたくはないのさ。怒るのも当然でしょう。ここで怒らないと父母や祖父母の苦労も願いもなにもかもが無駄になってしまう。私はそれが断じて許せないと思う。 真の愛国とはそういうことだと思っている。違うというのなら、自分の祖父母を、父母をすべて踏みつけて否定して、それでもいいのだという覚悟を持つように。かつて国を愛した人たちはそういう在り方を認めないと思うが。