つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人類の大きな課題のひとつだなあ

事故のあと、毎日のように頭痛がするようになりました。まだまだ首も肩も非常に硬いと感じるので、そのせいかもしれません。とりあえずマッサージを受けてから薬を飲むかどうか決めています。今日はまだ我慢出来る程度の痛みだし、マッサージでやや軽減したような気がするので、まだ鎮痛剤は飲んでいません。 わりと長い事、鎮痛剤と縁が切れそうな日々が続いていたので、微妙に悔しいというかなんというか… (ーー;) 明日は母の担当の循環器科のDr.とお話があるから、病院に行きます。明後日は自分たちのクリニックの受診&整形外科ですし。昨日、母の足の褥瘡のことで話があるという連絡をいただきました。皮膚科と形成外科のDr.からです。これまた3者の都合を合わせるのが大変でしたが、結局23日のお昼前に決まりました。 なんやかんやと話があったりしますので、母の退院も延び延びになっていますが、ここまできたら長めに置いていただいて、さらに心臓の具合が改善するのもいいかもしれません。続きに二つの病院に入院、というのは費用の面でも不安が出てきますしね…。徐々に先行きがはっきり読めなくなってきましたが、まあ仕様がないですね。ぼーっと構えているしかないようです。特養の件で腹を括ってしまったから、あとは流れに任せるしかないかなあ、という開き直りに近い心境です (^_^;) 母の従兄にYさんという人がいます。母の従兄ですが、父の会社での上司でもあった、というご縁です。 そのYさん、父の退職後も会社の役員をされていたのですが、なにやら一念発起して勉強し、70歳を越えてから国立の大学に合格、通学を始めました。別に若い頃に大学に行っていなかったわけではありません。若い時にちゃんと別の大学を卒業したのに、です。…まあ、うちの一族には勉強好きな人が多い傾向がありますが。 当時、地元の新聞の記事にもなりました。70歳以上で受験して合格すること自体が珍しかったのでしょう。 で、まあYさん、ちゃんと二つ目の大学を卒業されました。 その後、です。うちの父が倒れた直後に、病院にお見舞いにも来てくださいました。その後、自宅にも来られたんですが、バイクで道に迷って、うちの場所がわからなくて、一旦帰って出直してきた、とのこと。思えばそれが気配のようなものですね。 他県で大学教授をしていた息子さん(私のはとこになるわけか)が脳梗塞で倒れ、しかもかなり重症で、寝たきりになってしまって、実家に帰ってきた、という話を聞きました。Yさんは非常にショックを受けたようです。 その後、親戚の葬儀で出会ったYさんは、喪服にご飯粒をつけたまま、話しかけてもぼんやりしたままで、あきらかに認知症としか思えない様子だった、とこれは伯父から聞きました。 最近ではYさんのお宅からの連絡が途絶え、こちらも事情が推察されるだけにうかつに聞く事も出来ず、お元気なのかどうかもわからなくなっています。 でも老年期に入っても積極的な脳の活動をしていた人でも、わずか2,3年でがらりと別人のように変えてしまうのですから、認知症というのは残酷な病気です。単純に「頭を使う」ことが予防になるわけではない気がしますし…。脳トレって効果があるのかなあ? Yさんの場合は息子の大病、寝たきり、ということがかなり大きな衝撃になったんだなあ、とは思いますが。 認知症の予防や治療薬が本当に開発されたら嬉しい事ですが、いまはまだ本当に効果があるとは思えない薬を巡って利権争いばかりがすごいようですし。現実は明るいとは思えません。いろいろと思いを馳せるとただただため息しか出てこないのが現状ですね… (*-д-)-з