つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

時のうつろい 生命の循環

昨日はなんだか時間がなくて、日記を書けないままでした。まあ、そういう日もあるかなあ、ということで。 そういえば朝からは看護師さん、午後からはかかりつけの先生が往診に来られたのでした。 母の踵の褥瘡はまだあとひと月程度かかりそうな気配です。これでも順調に治って来ているようです。いつもなら朝一番に来られるはずの看護師さんから、急変があったので午後になります、という連絡がありました。母がお世話になってから急変→亡くなられるというパターンは二度目かな?私が把握した中では…。実際にはもっと多くの方が亡くなられているのではないかと想像も出来ますが…。 たとえば3.11。多くの方が亡くなられた不幸な出来事なので、個人的に誕生日を祝うのは不謹慎だ、という考えの人があって、そういう人もいるんだなあ、とちょっと驚いた感じです。災害でなくても大きな事故や戦争や疫病などで、多くの人が亡くなることがあるわけで、考えれば1年365日(もしくは366日)毎日が誰かの命日ですし、なおかつ毎日が誰かの誕生日でもあるわけです。不自然でもなんでもない生命の循環というか、移り変わりでもあります。だから素直に個人的に誕生日を祝っても全然かまわないと思うな。 …と、言いつつも私は自分の誕生日にはまったく関心がない人間なのですが。占いの時に思いだす程度かも…。それだけ価値観は人それぞれですね。無理矢理に他人に押し付ける必要はないと思います。 1月に姪の子供が生まれまして、このあいだ写真を送ってきてくれました。結婚2年目から弟の家族はうちの2階に住んでいたので、姪が生まれた時、甥が生まれた時もずーっと私も成長を見守ってきたからなあ…。育児もどきも経験することが出来ましたし。つい、このあいだのようにも思えるのに、すごく不思議な気もします。 時の巡りと人の生命のうつろいと…。 祖父はこの家で亡くなりました。私が小学生の時でした。祖母が亡くなったのが私が20代後半の時。弟の離婚。父の介護と死去。そして現在は母の介護。 私が生まれた時、姓名判断などをよく見てくれる人があったとかで、その人がなにを根拠に言われたのかわかりませんが、「この子は親との縁が長い」と言われたそうです。まあ、確かにそうだなあ。親の死に際を看取るというのが最も長い親子の縁かもしれないなあ、と思います。 まあ、ですからこれは完遂すべき課題でもあるのでしょうね。 自分自信の身寄りといっても、甥と姪しかいませんが、べつに孤独死でも怖くないと思っていると、不思議に先行きの不安が出てこないなあ、という感じですね。いつ、どこでどういう病気になっても、事故に遭っても慌てないようにも思えます。 自分の事よりも他の人のことを考えている方が有意義だなあ、と思う。 誰の本で読んだか曖昧ですが、「祈りというのは(宗教や信仰などとは無関係に)それを信じる人が祈った時に最も強いパワーを発揮する」というような言葉が印象的でした。あ、飯田史彦さんの本だったかも…。自分がきっとそうだと思う、と感じてた事でしたから…。祈る事、それも自分のためではなくて他者のためへの祈りは相当強い力を持っていると私も信じています。 やっぱりね、本当に自分が幸せだって思えるようになるには、身近な人たちが幸せでなければいけないんだな。どうしたって私はどういうタイプの人間のようです。