つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

「教えること」と「教わること」について

やることと考えることが多くて、毎日眼を回しています。雨ですと家の中でも外でも行動が制限されるのが煩わしいです。

地域医療連携室に呼ばれているので、今日はちょっと早めに病院に行くつもりですが。…なんだか今回の介護に対しては徐々に自信がなくなってきました。今現在動けている自分の状態がかなり奇跡的に感じてしまうので…。まあ、父の時もそういう感じでしたが。

母もせめて自分で食事してポータブルトイレに移動出来るくらいにはなって欲しいです。介護保険とは別のところで経済的不安もありますし、どこまで仕事が出来るかなあ、というのもあったり…。

昨夜考えていたことがあります。「教えること」と「教わること」について。

誰かが学んで習得した知識があるとします。学びの過程では時間も費用もかかっていると想像出来ます。そういう人から1から10まで教わりたいと思った場合、相応の対価を支払うのは当然のことだと思います。

でもどうなんだろう?そんな全部じゃなくても、ある程度自分で学んでから、どうしてもわからないことがある場合、「先生、ここがわからないんですけど」と質問に行くのは失礼なことなのかなあ?

私のお知り合いには各分野の専門の方々がたくさんいらっしゃるし、そういうことには気軽に答えてくださることがほとんどですが、そういうご好意に甘えているのはやっぱり依存なんだろうか?と。

逆に私が他人に対して教えられることについて「ちょっと質問」くらいならいつでも喜んで教えるけどなあ…、という意識があります。以前、それこそ1から10まで教わろうとした人がいて、それに閉口して某SNSをやめた経緯もありましたが。

なにかの専門分野を「教えること」自体がその人の生業だとしたら、ちょびっとでも教わろうと考えてはいけないのかもしれない。でも生業とまで行かない場合はどうなんだろう?とか、参考になる本くらい教えてくれてもいいんじゃないか?とかもやもやしたものが残ります。

どこまでも自主的に進めるのが勉学だし、私も基本独学が好きな人間ですが、「ヒント」くらいは別に教えてもらってもいい時があるように思います。

…すみません。ちょっと愚痴こぼしでした。

さ、片付けの続きをやります。お昼までね。