つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

花の人生というべきか

 昨日は眠れなかったという母を強引にかかりつけの内科に連れて行って来ました。

が、「私、もうガンかなにかで死ぬんやわ」とか言ってた母ですが、採血しながら先生と話しているうちに気分もマシになってきたらしく、「寝ないといかん」ということで、不足分の入眠剤を処方していただきまして、昨夜はぐっすり、今朝起きたら「いきなり動いたら反動が出るよ」と注意が必要なほどになっていました。

正直驚いてます。病は気から、というか、信頼している先生の顔を見て話しているだけで改善するケースを目の前で見ました。それだけメンタルな要素が大きかったのかもしれません。以前からずっと家族ぐるみのかかりつけ医で、父の介護中もずっと往診に来てくださって、最期まで看取っていただいた先生だけに、うちの事情に詳しいというのもあったのかもしれませんが…。

母もあるいは双極性Ⅱ型で、先生と会話していきなり躁転した?という可能性もなきにしもあらずで…。そのあたりは月曜日がクリニックの受診日なので、じっくり相談してきたいと思います。

 ひさしぶりに最初から読み返しています。「花よりも花の如く

で、もう随分長いことお能の例会にも行ってないなあ…、30年くらい行ってないか、行きたいなあ…、とかぼんやり考えていました。若い頃、マメに行ってたんですけどね。今、いくらくらいするんだろう?一日仕事になるから、もうそんな体力&気力はないかもしれませんが… (ーー;)

そういえば私、歌舞伎の方はなぜか一度も行ったことがないんですよね。こういうものも一種の「ご縁」なのかもしれないなあ、と思います。

考えてみれば、歌舞伎の世界は「生者の舞台」ですが、能の世界はほとんど「死者の舞台」ですね。シテは大抵死者の霊だったりするし…。でも私はその「死者達が少しずつ浄化されていく」世界というのにやっぱり心惹かれるみたいです。

 なんつーか、ふと「花でいいんだ」とこのごろ思います。あらゆる種類の花が自分にふさわしい場所で、あるいは人目に触れることでなくひっそりと自分の花を咲かせ、子孫を残し、また密かに散って行く…というのも人が生きるお手本みたいだなあ、と思ったり。

誰しもすべてが桜である必要はないし、湿地や高山に咲く花であってもいいし。本当にひっそりと時の過ぎるのに身を任せている感じ、いいなあ、と思います。無理も背伸びもしてないし。自分らしく咲いて自分らしく散る…という…。人もそんなふうであれたらいいのかもしれませんね。

長いこといろんな花を描いていますが、こういう気持になってくるものなんだな。ちょっと不思議な気がします。