昔、もう30年以上前になるかもしれません。
今は亡き、清水寺の大西良慶貫主がラジオで話しておられたことがあります。
詳細を覚えているわけではありませんが、おおよそこういう内容でした。
「観音さまにはお姿(肉体)というのがないの。
そやからみんなの所に来られる時は誰かの姿を借りて来はるの。
それは家族かもしれん。友達かもしれん。初めて会う知らん人かもしれん。
そやけど、そうしていろんな姿で身近にいたはるんやで。」
要するに「神仏は市井にあり」ということかなあ、と当時の私は思いましたが、
全然ピンと来ませんでした。それでもずっと覚えていたあたり、
なにか感じるものがあったようです。
それからずっと生きてきて、ようやくここ数年、その言葉の実感が
身近な体験として何度も起きるようになり、まさしく真実であると
認識を強くしたのでした。
きっとそれも長く生きてきたからです。人間にはたぶん長く生きないと
わからないことがあるのですね。
今は誰かのお世話になっていてもいいのです。辛い時だから。
いつかきっとそれを誰かのために返せる時が来ると思います。
その相手は必ずしもお世話になった人ではないかもしれませんが、
他の誰かでも全然かまわないと思います。
世の中と人である意義はそういうものだと思います。
いつか誰かのために出来ることがあるというのは結構励みになりますよ (^_^;)