この冬一番の寒波が来ているようです。起きたら雪かと思ったけど、雪ではないようで、それでも冷え込んでますね〜。
今朝は全身倦怠がひどくて、起きるのに大変苦労をしました。
それでもゴミの日だったし、弟も不調なのか寝ているし、母に持てる重さではないので、いつもの倍以上の気力でなんとか起きましたけど…。まだ、なんだか創作する気力が戻らないなあ、と思っております… (*´д`*)〜з
まあ、それでも最大の気掛かりがなくなったので、それはとても嬉しいことですが… (^_^;)
相変わらず、2ちゃんねらーは好き勝手に批評してくれてるし、気に入らないのなら読まなければいいのになー、と思うんですが (ーー;)
所詮は匿名の書き込みだもん。何を言おうが責任がないから気楽でいいよな〜。…と、ちょっとぼやいてみる (ーー;)
反対意見があるなりなんなりなら、コメント欄に書いてくれたらいいのにさ。
この国の中で、他の人とはちょっと違う価値観だとか、違う主張をするのって本当に大変ですね。
別に個人的にはキ○○イだとか、おかしいとか、なにを言われようがかまいませんけどね。でもどうにかすると友達すら無くす可能性もあるからなあ…。
「人と違う」ことがたとえば他の国ではしごく当然で、それが「個性」だと認識されていても、この国ではまだそうじゃないんだよね。「個人」としての認識が遅れているというか、なんというか…。そういう感じですね。
なにしろ何百年も続く「村八分」感覚がいまだにどこかに残っているような感じですから…。
自分が属するグループとか組織とか(大きな意味でのムラ社会)、そういう基礎になる場所がないと駄目だっていうのは、やはり「個人として考える」ことがまだまだ熟していないからだと思えますが…。
だから自分自身では重大な判断が出来なくて、トップにいる誰か、とか責任感がある誰かに託したくなるみたいですね。それですと、本当に民主主義は成熟しないだろうな、と思えます。
やっぱり「それぞれに考える個人」が論議して道を選択していく方があるべき姿ではないかと思うのですが…。
自分の正直な意見を正直に述べることが「おかしい」と言われるような世の中じゃまだまだいけないのではありませんか?
テレビの街頭インタビューなんかでも、応える人たちはまだまだ大人しすぎるような気がします。
こういう息苦しさを感じる社会では、やっぱり自分たちの運命を誰かに丸投げしてしまう傾向が多いように思います。
カリスマ性のあるリーダーが欲しいと思う理由のひとつにはそれもあるんだろうな、と。
別にそういうリーダーがいてもいいのですが、きちんと反対意見を言える場所もなければね。
反対意見も少数意見もちゃんと受け入れられるような構造でなければ、バランスが悪い世の中になってしまいます。
それを防ぐためにも、やはり個人が個人としての思考が出来て、判断も出来るような基礎力が必要じゃないのかな?
…そんなわけで、私自身はこの社会、やはり生きづらくて仕様がありません… (ーー;)