つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

すべての生命に価値がある

はー…忙しかったですね〜。

 毎度のことですが、8時前から郵便局とコンビニと、あとはドラッグストアでのまとめ買いコースを済ませてきました。

大きなダンボールに2箱とお米10キロと薬類と…。タクシーでなければとても移動が無理な量です。お店で台車を借りたくらいです (ーー;) 

これでもまだ、トイレットペーパーなどは通販でまとめ買いする分、ましなはずですが… (ーー;)

それでもまだ月末にはもう一度ドラッグストアに買い物に行きますし、くじ引きの券が20〜30回分くらいあるので、それも行かないとなあ。まあ、それは私が自転車で動けばいいのですが…。

 明日は母の内科の受診日なので、おそらく外出はしないと思いますが、土曜か日曜日には今度は業務スーパーに食料品の買い出しですね。

お正月はあえてなにもしませんが、それでもお餅などは必要になるし、もっと年末には他の食料品のスーパーにも行かないとなあ…。

その間に自分たちの受診もあります。なんだか当分ばたばたせざるを得ない毎日のような… (^_^;) 年賀状もなるべく早めに投函した方が気分的に楽かもしれませんね〜 (*-д-)-з

うちの父は75歳の時に脳梗塞になったわけですが、その直前の1,2年に、ちょっと認知症っぽい感じの様子がありました。

もっともひどいわけではなくて、車を運転して灯油を買いに行ったら、家とは逆方向に走っていた、とか(隣に乗っていた母が指摘すると「任せとけ」とか言ったらしいですが)、ビデオのタイマー録画の方法がわからなくなったりとか、扇風機を片付けて箱にしまうことが出来なくなったりとか、そういう風な兆候がありました。

さらに夜によく幻覚を見ていたんですよね。「玄関に子供がいる」とか母と私の間に子供が寝ているとか、そういう幻覚でした。

今にして思えば、あれはレビー小体型認知症の始まりのような感じだったのかもしれません (ーー;) 脳梗塞の前触れでそういうことになるケースがあるかどうかはわかりませんが…。

脳梗塞になってからも、時折幻覚は見えていたようです。ですからもし、発病はしなかったとしても、遅かれ早かれ認知症になっていたかもしれないんですよね。

ですから、認知症の患者さんのこともまるきりの他人事とは思えません。

脳梗塞になったのが、父の場合は幸か不幸かはわかりませんが、仮に認知症だったとしても、やはり私たちは父の寿命が尽きるまで、見守っただろうな、とは思います。

むしろ脳梗塞になってからの方がしっかりしていたかもしれない、という感覚もありますし…。

本当に最期を迎える直前に「パパ、頭はクリア?」と尋ねたら、本当にしっかりと知性が戻っていたようでした。ロウソクが燃え尽きる直前の輝きですね。本当に奇跡のように…。

もとから死ぬのが怖い、と感じていた人でしたので、最期の一息までずっと手を握り続けることも、語り続けることも出来たのはよかったと思います。

認知症だからなにもわからない、というのは意識がある限りは信じられないことです。私から見ますと…。

ですから父の場合は胃ろうを作って、最期まで栄養補給も投薬も出来て、とことん寿命が尽きるまで介護をすることが出来たので、本当によかったと思っております。

きちんと栄養が取れたおかげで、褥瘡もほとんど出来ませんでした。家族とは死ぬまで意志の疎通が出来ましたし、出来るだけの手を尽くせた、という意味では本当に悔いのない介護が出来ました。

担当の先生に「あんたたちは看護師以上によくやった」と労っていただけましたしね。結局、もろもろの条件が整っていたということでしょうか。

これからはますます老人人口も増えますし、福祉面でさらに充実は望めないかもしれませんが、本当に最期まで生命には意味も意義も価値もあるんだ、ということを多くの人に知っておいていただきたいと思います。